弁天台場は、江戸幕府が1856年から1863年にかけて、外国船襲来に備えて箱館湾沖に建設した砲台である。 周囲390間余の不等辺六角形で、上から見ると将棋の駒のような形をしていたこの砲台は、総面積11,611坪、高さ37尺の石垣をもつ土塁2,350尺で囲まれていた。 東南端にはトンネル式通路のアーチ型入口を構え、砲眼15門を装備し、その中にはロシア艦ディアナ号のものもあったといわれている。 外国船襲来に備えて建設されたこの砲台であったが、実際に使用されたのは函館戦争においてであった。 函館湾海戦において、新選組が中心となった旧幕府軍がこの砲台に立てこもり奮闘するが、函館市内を新政府軍に占拠され孤立させられると、1869年、本陣五稜郭に先立って弁天台場は新政府軍に降伏をした。
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