平松城 のバックアップの現在との差分(No.1)

現実の城情報 Edit

鹿児島県姶良市平松。
島津氏17代当主・義弘が築いたとされる城がこの地に存在していた。
それが平松城である。
現在は重富小学校の敷地になっており、敷地の周囲には野面積みの石垣跡を、校庭には井戸跡を見ることが出来る。
そして、小学校の背後の切り立った岩山には、詰めの城である岩剣城があったとされる。

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天文23年(1554年)、15代当主・貴久が祁答院良重の居城・岩剣城に攻め込んで落城させた。
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そして、この攻城戦が、我が国で初めて鉄砲が使用された戦であるとされている。
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岩剣合戦と呼ばれたこの攻城戦が、我が国で初めて鉄砲が使用された戦であるとされている。
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貴久は、義弘を岩剣城の城主に置いたが、義弘は、この城が狭く不便であるとして、麓に新たに平松城を築いて平素の居城としていた。
以後この城は、明治時代まで重富島津氏の居城として存続していった。
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所在地鹿児島県姶良市平松
現存状態曲輪、石垣、井戸
城郭構造平城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 義弘の城ってけっこう多いのな -- 2018-02-17 (土) 23:17:08
    • そして姶良市に城多すぎ。 -- 2018-02-17 (土) 23:31:15
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