大鳥井山 のバックアップの現在との差分(No.7)
現実の城情報大鳥井山遺跡、あるいは大鳥井柵跡とも。旧説では早くても14世紀頃の完成とされていたが、発掘調査で出土した土器などから10世紀後半から11世紀後半までに用いられたことが判明した。 続きをクリックで表示 奈良大学の千田嘉博氏によれば、畝状空堀群と思われる3本の竪堀は15、6世紀に出現したとされてきた構造であり、土でつくる城の最高レベルと評している。 南北680メートル、東西200メートルに広がる遺跡は、川に面していない三方向は二重に巡る土塁と堀で囲まれ、堀は最大のもので幅10メートル、深さ3メートルに達し、大型の建物跡も確認された。 これは源平合戦の戦争の姿すら見直しが迫られるものとされ、平成22年(2010年)2月に国指定史跡となった。現在、光頼・頼遠父子の居館跡とされる地には、大鳥井山神社が鎮座している。 これは源平合戦の戦争の姿すら見直しが迫られるものとされ、平成22年(2010年)2月に国指定史跡となった。横手市ではこれを契機に源義家と清原氏をテーマにした「後三年合戦シンポジウム」を毎年開催している。 平成29年(2017年)6月16日、文化審議会は大鳥井より北に5キロメートル離れた「陣館遺跡」を追加指定し、「大鳥井山遺跡附陣館遺跡」と名称変更するよう松野博一文部科学相に答申した。 現在、光頼・頼遠父子の居館跡とされる地には、大鳥井山神社が鎮座している。
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