大都、またはカンバリクは、モンゴル帝国(元朝)の首都で、夏の都の上都と共に冬の都として使われた。 現在の北京の直接の原型にあたり、現在まで中国に成立した国家の首都として使用されている。 この地には元々は金の首都の中都大興府があったが、モンゴルのチンギス・ハーンがこれを攻略すると、同地に対北中国の拠点として燕京大興府を建造した。 そして1267年にクビライが五代目の皇帝に就くと、燕京大興府の北東に接するように新しく大都の街が建造され、それと共にカラコルムからこの地に遷都した。 以降、大都は元朝および全ウルスの中心都市として、そして海につながる運河を街に引き入れた事で商業都市として大きく繁栄した。 元朝末、明によって攻略されると名を北平と改め、そして永楽帝により同地が北京として2/3程の規模で再建され、宮城跡には紫禁城が建てられた。
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大都はクビライが劉秉忠らに命じて建造された。 その構造は中国都城としては特異なもので、多くの場合は皇帝の宮城が城塞都市の中央から北に位置する一方、大都は南に面して配置されていた。 これは周礼の匠人営国に記載されている面朝後市の考えに則って設計されていると言われている。 一方で、都市設計理念について周礼にこだわらずより多角的な考察が必要であるともされており、近年では布野修治らが唱えたモデルが有力視されてきている。 それによるとこの配置は、都城内の水系の判断と、それを覆すほどの意味をクビライが見出していなかったという点が理由であるという。
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