勝連城 のバックアップソース(No.1)
*現実の城情報 [#information]

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オモロ人が書いた『おもろさうし』には勝連城(かつれんぐすく)を「何にたとえようか、大和の鎌倉にたとえる」と誇らしげに讃えた一文が見れるほど、広く堅い縄張りをもつ城(グスク)であった。
また、同書物には勝連城を拠点としていた茂知附按司のことを「島の隅々まで聞こえた按司」、阿麻和利のことを「大国として鳴り響き、十百歳も栄え、勝連グスクのように」と称賛している。
勝連城は勝連半島の下に位置する城で、三、二、一の郭を遠目で見ると巨大な船体にも見えるため、地元では「唐船」と形容されることもあるそうだ。
主に五つの郭で構成された山城で、低いところから、四の郭、三の郭、二の郭、一の郭の順に位置が高くなってゆく。四の郭の左手側には約10年前まで樹木に覆われていた東(あがり)の郭がある。
初めて勝連城を拠点とした人物は、英祖王統2代目の大成王の五男だと伝承が残っている。当時の勝連城はすでに中山王直系の勢いと同等かそれ以上であった。
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その勢力を示す例としてひとつ逸話がある。察度王統を樹立した察度王の妃は勝連按司の娘であった。その時まだ無名とは言え交易により富を蓄えた察度がわざわざ勝連まで出向いて勝連按司の娘を嫁に乞うたというのである。
おそらくは中山王の王座を狙っており、自らの力を盤石なものにするための謂わば政略結婚を持ち掛けたのだ。中山王にとっては勝連城は無視できない存在であった。また、尚巴志の二男の妃も勝連按司の娘であった。
このことから、歴代の勝連按司は中山王と姻戚関係で深く結びついていたことになる。兵力衝突ではなく、婚姻による外交力で勝連按司は安寧を約束されたように思えたが、その血筋は惜しくも五代で潰えてしまう。
五代目の勝連按司には後継者がいなかった。対策として伊波按司から養子を取る穏便な政権交代を果たしたが、伊波按司系の勝連按司は何とたったの一代限りで終焉を迎えることとなる。
そもそも直接勝連按司と伊波按司とのつながりはなく、ことの真相は不明のままではあるが、この養子縁組の裏には尚巴志が勝連の政権を掌握するために介入したと推測する向きもある。
七代目、八代目は浜川按司になっているがこの政権交代もまた謎であり、浜川按司なる人物の素描は伝わっていない。伝承上、二代続いた浜川按司の跡を継いだのが茂知附按司であるが、茂知附按司もまた謎が多い。
圧政を敷き酒に溺れた暴君とされる人物だが、貿易活動に精を出し勝連の繁栄に大いに寄与したため、上述の『おもろさうし』のような称賛する声もまたある。
沖縄らしからぬ名前や独自の貿易路を持っていたことから倭寇の流れを汲むものか、あるいは密接なかかわりを持っていたとする考えもあるようだ。勝連城の繁栄を支えた按司のひとりである。
十代目の阿麻和利の登場により勝連城は栄華を極めていた。阿麻和利についても誕生において逸話が残っている。屋良城を拠点としていた屋良大川按司と百姓娘との間に生まれ、童名は「加那」という。
生まれついての虚弱体質で、十歳になるまで歩くのもままならなかったとされ、それが原因で山に捨てられたという。この逆境により幼少にして自立する術を身につけた阿麻和利は流浪の旅に出た。
行く先々では人心掌握に優れたり、蜘蛛の巣にヒントを得て打ち縄の作り方を考え出したりと、非凡な才覚を発揮したとする逸話が伝えられる。また、好機を見逃さない鋭い洞察力も兼ね備えていた。
王宮[[首里城]]と肩を並べる勢力を持っていた茂知附按司が慢心しているところに付け入り、松明をかざした民衆を勝連城へ行軍させ、酔いのまわった茂知附按司が一目見ようの身を乗り出した隙に崖から突き落としたのだ。
この呆気ない茂知附按司の最期を機に、阿麻和利が政権を奪取した。乱痴気騒ぎを毎夜毎夜と起こしていた前代とは打って変わって、貢租を軽くし、人民の力を培う方向への舵を取ってゆく。
善政を布いていた阿麻和利だが、「護佐丸・阿麻和利の乱」後、首里城攻めの計画を妻の百度踏揚(ももとふみあがり)に中山王尚泰久へ密告され、討伐されてしまう。
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|所在地|沖縄県うるま市勝連南風原|
|現存状態|石垣、郭|
|城郭構造|山城|




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