佐土原城 のバックアップ(No.6)
現実の城情報内城が言及する城。 続きをクリックで表示 この義祐の頃に佐土原城は伊東四十八城の中核に位置づけられ、伊東氏代々の居城である都於郡城とともに伊東氏の重要拠点となる。 佐土原城は慶長11年(1611年)に山頂部に本丸が築かれ、その南側に位置する伊東氏時代の城は南の丸として修復され、本丸に隣接して殿司丸も築かれ。鶴松山の全体が要塞化されることとなった。 従来、南九州の城には天守が無いというのが通説だったが、佐土原城の殿司丸での平成8年(1996年)の発掘調査によって天守台跡や金箔鯱瓦が発見され、佐土原城に天守があったことが確実となり、大きな注目を集めた。
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