丸森城 のバックアップの現在との差分(No.3)
現実の城情報丸森城(まるもりじょう)は宮城県伊具郡丸森町(陸奥国伊具郡)にあった城。 続きをクリックで表示 元亀8(1565)年伊達稙宗が死去すると、隠居後の稙宗の面倒を見ていたとされる屋形御前(稙宗長女)の嫁ぎ先であった相馬氏が隠居領に進駐し丸森城などを接収した。 丸森城は守りが堅く、長きにわたって伊達氏の攻勢を跳ね返したものの、伊達晴宗の子輝宗の代の天正11(1583)年ついに伊達方は丸森城を攻略した。 これに伴い伊達家臣黒木宗俊が城主となるが、伊達政宗の代の宇陀郡北部攻略に伴い、宗俊は駒ヶ嶺城(現在の福島県相馬郡新地町にあった城)に移り、 その後は高野親兼、大條実頼と城主がかわるが、大條実頼は北西の阿武隈川南岸の丘陵に鳥谷館を築き移ったため、廃城となった。 丸森城は守りが堅く、長きにわたって伊達氏の攻勢を跳ね返したものの、伊達晴宗の子輝宗の代の天正11(1583)年ついに伊達方は丸森城を攻略し、城主として黒木宗俊を置き相馬氏に備えさせた。 伊達政宗の代になり宇陀郡北部も伊達氏の手に戻ると、宗俊は駒ヶ嶺城に移り、高野親兼、大條実頼と城主が入れ替わっていった。 慶長6年(1601年)大條実頼は丸森城から北西にあたる阿武隈川南岸の丘陵に新たに鳥谷館を築きそこに移ったため、丸森城は廃城となった。 現在は城跡地に愛宕神社がおかれている他、伊達稙宗の墓碑も現存している。
コメント |
Published by (C)DMMゲームズ
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示