楠木正成が拠った楠木七城の一つで、正成が後醍醐天皇に与して挙兵した際、最初に築いた城でもある。 『太平記』には下赤坂城は東側に山が続き、三方が平地の城と記されており、また上赤坂城とは区別されていない。 現在は上赤坂城が楠木城跡、下赤坂城が赤坂城跡で国史跡に指定されているが、下赤坂城は遺構がほぼ残っていない。 発掘調査では現在の楠木城誕生地に居館の遺構が発見され、ここが赤坂城だったという見方もある。 正成は元弘元年(1331年)、鎌倉幕府の大軍を相手に下赤坂城で籠城するものの落城、その後元弘2年(1332年)に再び下赤坂城で挙兵したが落城し、上赤坂城、千早城に移って籠城戦を続けた。
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