パレンケ のバックアップの現在との差分(No.2)
現実の城情報パレンケはメキシコ合衆国の遺跡でユネスコ世界遺産に登録されており、東の芸術都市がコパンならば西はパレンケといわれるほどの大都市であった。 パレンケはメキシコ合衆国の遺跡でユネスコ世界遺産に登録されており、東の芸術都市がコパンならば西はパレンケといわれるほどの大都市であった。 マヤ文明の地図からすると西端にあたり、チアパス高地山腹の丘陵上に立地する。「パレンケ」の名はスペイン人が命名した地名の一部を抜き取って付けられたもので「柵」を意味する。 本来の名前はマヤ文字の解読から求めることができ、古典期のマヤ人からは「ラカム・ハ(大いなる水)」と呼ばれていたようだ。遺跡に聳え立つ神殿ピラミッドからはメキシコ湾岸低地を一望できる。 都市としては大変栄えていたようで、王宮内の宮殿を中心に、穴の開いた屋根飾りや傾斜のある屋根をもった建物が立ち並ぶ。王や貴族の人物像をはじめとする建物の外壁を飾る漆喰の浮彫が美しい。 コパンやティカルのような大きな石碑はないが、石板や壁にいつくかの碑文が確認できる。大いなる水の都市だけあり近くの小川の水を石造りの水路を通して街に引いていた。今でもマヤ・アーチに絶えず流れている。 (続きをクリックで表示) いつから人が移り住んでいるのか。発掘調査の結果、遅くとも先古典期の後期(紀元前400年~後250年)には居住され始めた様子だが、パレンケがもっとも栄えるのは7世紀になってからである。
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