ティカル のバックアップソース(No.1)
*現実の城情報 [#information]

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ユネスコ世界遺産のティカルはグアテマラ最大の古典期マヤ文明の都市で、東西南北に神殿や双子ピラミッド複合体がいくつも点在する大規模な都市であった。
ただ、大河川流域ではなく、エル・ミラドール、ナクベ、カラクムルと同様のバホ((雨季に水がたまる低湿地の意))である。そのためか、ティカルの中心地は低湿地帯から50メートルほどの高さの複数の丘陵上に築かれていた。
北のアクロポリスからは古典期の床面5つより、先古典期とみられる12の床面と石室墓が見つかった。石室墓はマヤ・アーチを有していたという。
豊かな副葬品が多く出土したため王の墓の可能性を示唆している。ティカルでは1世紀から800年の間で少なくとも33人の王がいた。

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|所在地|グアテマラ|
|現存状態|神殿ピラミッド、アクロポリス、石碑|
|城郭構造|都市|

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&color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)};
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**城郭構造 [#k02d7631]
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都市中心の大広場から約80メートルにおよぶ舗装提道・サクベ((30程度あるマヤ諸語のひとつユカテコ語で「白い道」を指し、大きめの石や土を堤防のように盛って漆喰や小石で舗装したもの))が放射状に張り巡らされ、主要な公共建築と接続していた。アクロポリスも中央と北の二つが存在する。
球戯場もあり全部で五つ用意されている。大広場から西に延びるサクベをゆくと突きあたる神殿4の高さは70メートルを誇り、古典期マヤ文明においては最大級の神殿ピラミッドであった。
ティカルは古典期では「ムタル」と呼ばれていたことがマヤ文字の研究の中で判明した。都市がもっとも栄えていた時期の呼び名である。
南に位置する神殿5の西隣ムンド・ペルディード地区と呼ばれる区画でティカル最古の建築物が発見された。スペイン語で「失われた世界」を意味する。
太陽の運行と関連する建築群で、広場に面して東側に細長い基壇、西側には増改築され35メートルにもなる大きな神殿ピラミッドが聳え立つ。凡そ紀元前700年から建造がはじまり古典期まで幾度となく増改築が施された。
東西に重要な施設を設ける背景には、マヤ文明が太陽の運行、延いては太陽そのものを信仰しているからに起因し、政権も自身の正当化を果たすためそれを利用しているためである。

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