チェプストー城 のバックアップの現在との差分(No.1)
現実の城情報ウェールズ南部とイングランドを隔てるワイ川の河岸崖上に建つ。多数の城跡が有る『城の国』ウェールズの中でも最古とされる石造城砦。 続きをクリックで表示 ウィリアム1世はフィッツオズバーンなど側近三人にそれぞれ半自治を認めた辺境領を与え、それぞれ独自にウェールズを攻めさせた。 フィッツオズバーンの死後は息子ロジャーが城と爵位を継いだが王への反乱で没収され、改めてペンブルック伯ド・クレア家に下賜された。 フィッツオズバーンの死後は息子ロジャーが城と爵位を継いだが王への反乱で没収され、改めてペンブルック伯ド・クレア家に下賜された。 11世紀の築城以来、チェプストー城はグウェント王国などウェールズ南部諸国への侵攻拠点として用いられた。 侵攻の進展とともに統治の拠点として用いられるようになり、チェプストーには河港が開かれ、貿易の拠点としても発展する。 13世紀にはペンブルック伯により拡張を含む二度の大改装と複数の小改装が施され、比較的単純な郭割りから現在見られる完成形へと変化した。 しかしその後戦略的な重要性は低下し、15世紀初頭のオワイン・グリンドゥールの反乱でも無用な城攻めを嫌ったオワイン軍は城を避けた。
城郭構造 城郭構造東から西に向かって下郭、中郭、上郭と高度が上がっていく構造の連郭式。上郭にメインキープを、上郭の西外側にもうひとつ外郭を持つ。 北は川に面した崖であり、残りの三面は堀によって防御されていた。 前述のとおりウェールズの石造城砦としては最初期の物で、建材に用いた石材の一部はチェプストーの南西・カーウェントのローマ遺跡から転用された。 城の主城塔は東西32m、南北12mの長方形の三階建て。11世紀末に完成したもので、フィッツオズバーンの地元であるノルマンディの城に似た様式を持つ。元は二階建てだったが13世紀に増築された。 12世紀末から13世紀初頭にかけてペンブルック伯ウィリアム・マーシャルとその息子たちによって大改装が行われ拡大・近代化される。 コメント |
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