プラハに次ぐチェコ第2位の都市ブルノの標高約280mにある城である。 チェコはボヘミアとモラヴィアの2つの地域があり、ボヘミアの首都がプラハとすれば、モラヴィアの首都はブルノであり、 そこを治める王宮として13世紀、ボヘミア王オタカル2世によって築かれた。 独立した辺境伯領ではあるが、領主はボヘミア王や神聖ローマ皇帝などを兼任しているため王族が滞在することは殆ど無かった。 以降、所有者が度々替わり、最終的に国が買い上げブルノ市に下げ渡された。このまま目立った活躍も無く終わると思われていたが転機が訪れる。
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下げ渡された市は、フス戦争や30年戦争で襲撃を受けた時、軍事的に重要性が増したのを受け宮殿から稜堡等を備えた要塞へと変化させた。 それは外側からの侵入を防ぐ効果が大幅に強化されたが、内側から外へ出る方法も大きく困難にした。 別名「ヨーロッパで最も恐ろしい刑務所」の幕開けであった。
最初は白山の戦いで敗れたメンバーに始まり、軽犯罪者から神聖ローマ帝国に歯向かう国家反逆者、戦争捕虜、 そしてウィーンの思想革命家シルヴィオ・ペリコ、彼が出獄後に書いた『わが獄中記』はヨーロッパ中に広まり、その二つ名を大いに響かせた。 1858年一旦は閉じられ軍の兵舎となるも、第一次世界大戦の開戦により続行され、1939年チェコを併合したドイツ軍は、 同年~1941年にかけて収容人数をさらに増やすため、要塞化されたときの砲廓(大砲が砲撃に曝されないよう保護する建物)があったが、 それさえも牢獄へ改装し、城としての防御・攻撃方法さえも奪われ刑務所へと変貌していった。 戦後も戦犯の収監や軍事基地として使われていたが、1959年チェコスロバキア軍の再編により、軍から市へ譲渡され軍事施設としての役割を終えた。 翌年市立博物館が移転し、現在は牢獄の公開や拷問に使われた道具などの展示が行われている。
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