霊山城(りょうぜんじょう)は福島県伊達市(陸奥国伊達郡)にあった城。 現在の宮城県境付近にある標高825mの霊山山頂付近に築かれた山城である。山頂に存在した天台宗寺院である霊山寺を利用したものと考えられている。 鎌倉幕府が滅び建武の新政が始まると、陸奥には後醍醐天皇の子である義良親王(後の後村上天皇)が北畠顕家を伴い下向し多賀城に入り統治を担った。 間もなく南北朝の対立が始まり、東北地方でも北朝方の石塔義房が下向してくるなど北朝の圧力が強まると、鎮守府将軍に任ぜられていた北畠顕家は国衙機能を霊山に移した。 これは、陸奥国府が信夫郡にあったと考えられることや、当時東北南朝の主力であった伊達氏や田村庄司一族、白河結城氏などとの連携がとりやすいなどの理由があげられ、霊山城はこの時に築かれたとされる。
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しかし、年々北朝方の圧力は強まり、白河結城氏も北朝方に転じるなど東北南朝勢力の後退を食い止めることはできず、 貞和元(1345)年石塔義房にかわり畠山氏国と吉良貞家が陸奥に下向すると南朝拠点への攻勢が強まり、翌年周辺の南朝方拠点とあわせ落城したとされている。 霊山城の遺構は何度か発掘調査が行われており、昭和55(1980)年の調査では建物の礎石などとともに南北朝~室町期に使われていた宋銭等などが発掘された。 現在では本丸であったとされる山頂付近の平場の一角に霊山城の碑が立っている。
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