Top > 霊山城

霊山城
HTML ConvertTime 0.072 sec.

現実の城情報 Edit

霊山城(りょうぜんじょう)は福島県伊達市(陸奥国伊達郡)にあった、南北朝時代に南朝方の本拠地となった城。
現在の宮城県境付近にある標高825mの霊山山頂一帯に築かれた山城である。山頂に存在した天台宗寺院である霊山寺を利用したものと考えられている。
鎌倉幕府が滅び建武の新政が始まると、陸奥には後醍醐天皇の子である義良親王(後の後村上天皇)が北畠顕家を伴い下向し多賀城に入り統治を担った。
間もなく南北朝の対立が始まり、東北地方でも北朝方の石塔義房が下向してくるなど北朝の圧力が強まると、鎮守府将軍に任ぜられていた北畠顕家は国衙機能を霊山に移した。
これは、陸奥国府が信夫郡にあったと考えられることや、当時東北南朝の主力であった伊達氏や田村庄司一族、白河結城氏などとの連携がとりやすいなどの理由があげられ、霊山城はこの時に築かれたとされる。山頂にある主要伽藍が城の施設として利用され、主要仏殿となる場所が東西約50メートル、南北約55メートルの堀と土塁によって囲まれた。


所在地福島県伊達市霊山町石田字霊山
現存状態特に遺構なし
城郭構造山城

コメント Edit

コメントはありません。 Comments/霊山城? 

お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS