天正10年(1582年)の本能寺の変により織田信長が明智光秀に討たれると羽柴秀吉が台頭し、その家臣だった蜂屋頼隆が敦賀の地に入り敦賀城を築いた。 そのまもなく、頼隆が九州平定中に病死し、その代わりとして、天正17年(1589年)に大谷吉継が5万石で敦賀城に入城した説と、大谷吉継の前に豊臣秀勝が城主となったという説がある。 関ケ原の戦いの後、敦賀城は吉継の家臣蜂屋将監によって東軍に引き渡され、結城秀康によって代官が派遣されていたが、元和2年(1616年)に一国一城令により破却された。 廃城以降、主郭部に小浜藩の役所とお茶屋が置かれ、小浜藩は寛永元年(1624年)に京極忠高の所領となった。 寛永11年(1634年)、京極氏は松江城へ転封となり、代わって酒井忠勝が小浜藩主となり、以降幕末までの240余年を酒井氏が支配することとなる。
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