常陸太田城 のバックアップ(No.2)

現実の城情報 Edit

常陸国の名門佐竹氏の居城。佐竹氏は源義家の三男新羅三郎義光の流れをくみ、その孫昌義から佐竹氏を名乗った。
常陸太田城は天仁2年(1109年)に藤原通延によって築かれたとされ、馬坂城を居城としていた佐竹氏第二代隆義は藤原通延の孫・通盛を小野崎城へと追った。通盛は小野崎氏を名乗り、石神城の石神小野崎氏・額田城の額田小野崎氏の祖となった。
常陸太田城を馬坂城に代わる居城とした隆義がこの城に入った際、上空を鶴が舞ったことから「舞鶴城」と呼ばれるようになったという。
以後約470年間にわたる佐竹氏代々の居城となり、佐竹氏中興の祖である第十四代義舜が戦国大名としての基盤を整えた。
この間に佐竹氏は治承・寿永の乱での源頼朝との戦い、南北朝動乱での南朝方との戦い、また佐竹氏の庶流で山入城を本拠とする山入家との山入の乱など幾度も戦乱を経験し、常陸太田城を度々奪われた。特に山入の乱は約100年間に渡り、延徳2年(1490年)には山入家の佐竹義藤・氏義父子によって常陸太田城から追放された。


所在地茨城県常陸太田市中城町
現存状態一部に土塁が残る
城郭構造平山城

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