城塞都市カイロ のバックアップ(No.2)
現実の城情報中世イスラーム世界の中心地として繁栄した都市で、「勝利の都」を意味する。 続きをクリックで表示 1168年、十字軍勢力がエジプトに侵攻するとファーティマ朝の宰相シャーワルは侵略者による占領を阻止するためフスタートを焼き払い、家を失った多くの人々がカイロやその郊外に移住した。 サラディンの死後、アイユーブ朝はダマスカスやアレッポなどで一族が自立する分裂の時代となり、やがてアイユーブ朝末期のスルタンであるサーリフが創設したバフリー・マムルーク(海のマムルーク)軍団が、1250年にスルタンのトゥーラーン・シャーを暗殺しマムルーク朝を樹立した。 しかしナースィルの死後マムルーク軍団の間で権力争いが起こり、マムルーク朝は混乱の時代を迎えた。また地中海世界でのペストの大流行がエジプトにも及んでカイロでは人口が激減し、さらにペストの影響でカイロ・ダマスカス間の交易が衰えたこともあり、カイロの繁栄は急速に失われていった。
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