九戸城 のバックアップ(No.9)
現実の城情報
三戸南部氏や八戸南部氏と並ぶ、甲斐源氏の流れをくむ南部氏の有力な一族で、代々南部宗家を支えてきた九戸氏の居城。 続きをクリックで表示 九戸政実の乱の終結後、九戸氏の旧領は南部宗家の当主・信直に所領として与えられるとともに、九戸城は蒲生氏郷や浅野長吉らによって上方風の近世城郭に改築された。 信直は九戸城を福岡城と改称し、慶長2年(1597年)に盛岡城を普請するまで福岡城を本拠として使用した。 歌曲「荒城の月」の作詞者・土井晩翠が当地にリンゴ狩りに訪れた際、自ら筆を執り記した「荒城の月」の歌碑が建立されている。
豊臣秀吉に最後まで抗った城(クリックで表示) 豊臣秀吉に最後まで抗った城
九戸氏の最後の当主である政実は、豊臣秀吉の奥州支配に最後まで抗った大名として一部で有名である。 九戸城は豊臣秀吉が派遣した6万の奥州再仕置軍に包囲されたが、南部氏のなかでも精鋭の九戸党を率いる政実指揮の下、天然の要害である九戸城は容易には落ちなかった。 コメント
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