三戸城 のバックアップ(No.4)
現実の城情報
天文8年(1539年)に聖寿寺館が焼亡した後、永禄年間(1558~1570年)に南部晴政が築城し、天正年間(1573~1592年)に完成したとされる南部氏の主城の一つで、留ヶ崎城とも呼ばれる。 続きをクリックで表示 天正18年(1590年)の豊臣秀吉による奥州仕置によって三戸南部氏の宗家としての立場は確立し、奥州再仕置によって九戸政実の乱が鎮圧されてからは九戸城(福岡城)に居城が移された。 三戸町立歴史民俗資料館(温故館)の史料からは、馬淵川と熊原川の浸食によって形成された比高90メートルの河岸段丘上にある連郭式山城であり、内部には主殿、御奥、千畳敷、大書院、御金蔵等の主要殿舎が建てられ、西側下には谷丸、北側下には淡路郭と呼ばれる腰郭が敷設されていた事がうかがえる。
コメント
|
Published by (C)DMMゲームズ
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示