金鑚御嶽城 のバックアップ(No.3)
現実の城情報
上野・武蔵の国境近くに位置する城として、後北条氏と武田氏との間で激しい攻防戦が展開された境目の城。 続きをクリックで表示 金鑚御嶽城の攻略によって氏康は武蔵全域を支配下に置き、また金鑚御嶽城が落城したという報を受けて東上野の赤石城主那波宗俊が氏康に従い、西上野の山内上杉方だった国衆も相次いで氏康に従属した。 永禄12年(1569年)には甲相駿三国同盟の崩壊に伴って武田信玄が上野から北武蔵へ進出し、5月には浅利信種に命じて向城を築かせた。 金鑚御嶽城をめぐる激しい攻防戦は民衆の行動にも表れており、「仁王経科注見聞私 奥書」には兵による略奪を避けるため、民衆数千人が利根川の中州に小屋を建て、合戦のたびに避難したことを記している。
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