|
金田城 のバックアップ(No.2)
現実の城情報
|
| 所在地 | 長崎県対馬美津島町城山 |
| 現存状態 | 門礎石、石塁、城門跡 |
| 城郭構造 | 古代山城(朝鮮式山城) |
城郭構造(続きをクリックで表示)
遺構の主要部は「城戸」であろう。北東から時計回りに一ノ城戸、ニノ城戸、三ノ城戸と連なる。
北東部に位置する一ノ城戸には特徴ある石垣が残っている。谷間に高石垣が構築され、わりと石垣は形状を保っているが、上部と下部とでは石の形状や石材が明らかに異なっていた。
上部は平板状の砂岩、下部は加工されていない石英斑岩で構成されているため、後世に修築があったことは明白である。
また、南には「張り出し」があり防衛機能を高めたことが窺える。ここでも上部・下部に石材の違いを見ることができた。
ちぐはぐした修理の背景には寛政年間における外国船出没が関係している。寛政4年(1792年)に沿岸地図を作成し、要所に遠見番所を設置、監視と防備体制の強化を図った。
その6年後には有事に備え『海辺御備覚』を作り、浅茅湾の要所である城山(金田城)と豊玉町貝鮒に陣を構えることが明記されている。
鉄砲850挺、舟259艘、大筒場6箇所、足軽鉄砲27組、675挺を配備するとある。
ニノ城戸は城門跡が確認され、三ノ城戸は水害に幾度もあっているため傾いている門礎石を含め3つが辛うじて確認できるまでであった。
金田城の発掘調査開始地であるビングシ山鞍部にはビングシ門と称される門と、弧状に築かれた土塁、堀立柱建物跡が3棟、柵列跡が確認できる。
遺構からは火を使った痕跡「炉跡」が発見され、当時、防人が居住していた可能性がでてきた。
Published by (C)DMMゲームズ
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示