猿掛城 のバックアップ(No.2)
現実の城情報
猿掛城は、現在の倉敷市から矢掛町にまたがる猿掛山に築かれた山城である。 続きをクリックで表示 天文2年(1533年)、当時の城主・庄為資は、松山城の上野頼氏を攻め滅ぼし、備中半国を配下に収めて松山城に移り、猿掛城には一族の穂田実近が入った。 天正2年(1574年)、元親が織田信長と結んだことで毛利氏と三村氏が争う備中兵乱が起こるが、天正3年(1575年)5月、松山城の陥落によって備中兵乱は終結し、元親は自刃をした。 天正10年(1582年)の羽柴秀吉による高松城水攻めの際に、猿掛城は毛利輝元の本陣となり、本清は、天正11年(1583年)に城の西部にある茶臼山に中山城を築いて移り、猿掛城には重臣の宍戸隆家を城代として置いた。
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