岩切城(いわきりじょう)は宮城県仙台市宮城野区(陸奥国宮城郡)にあった城。高森城や鴻ノ館とも呼ばれる。 七北田川北岸に広がる丘陵地帯の南端にあたる標高106メートルの高森山に築かれた山城で、中心部の巨大な堀切を境に東に15、西に9つの曲輪群からなる。 鎌倉初期に陸奥国留守職となった伊沢家景が多賀国府を守る城として築いたとされ、その子家元の代からはその職からとった留守姓を名乗り、この城を本城として宮城郡北部を支配した。
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室町時代に入り周辺の国分氏などと抗争状態にあった留守氏は、15世紀に入り南から伊達氏の勢力が迫ると、その後ろ盾を得ようと接近、結果、度々養子を送りこまれることとなる。 永禄10(1567)年に留守氏に養子として伊達晴宗の三男政景が送り込まれると家臣の村岡氏や余目氏がこれに反抗。 政景はこれを討伐すると本城を利府城に移し、岩切城は廃城となったとされている。
岩切城跡は昭和57年(1982年)に国の史跡として登録されており、現在では宮城県民の森の一角にあたる高森山公園の一部になっている。 そのため、堀切等の遺構はよく残されてはいるものの、東日本大震災で一部が崩落する等の激しい損傷を受けている。
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