聚楽第が破却された後、慶長2年(1597年)に豊臣秀吉が京都御所の南東に築いた城郭風邸宅。当時は「太閤御屋敷」「太閤上京屋敷」などとも呼ばれ、現代になって「京都新城」と呼ばれるようになった。 朝臣としての豊臣氏の邸宅として築かれたが、秀吉は数度使用したのみで居城にはせず、慶長3年(1598年)に死去した。 翌年に秀吉の正室である北政所(高台院)が大坂城から移り、高台院屋敷として用いられ規模は縮小された。 高台院の死後、太閤御所の敷地は後水尾上皇の御所の地に選ばれ、寛永4年(1627年)に仙洞御所が築かれた。
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