天正14年(1586年)1月に築城が開始され、8月に坂本城が廃城となった頃に完成した。 大津城の築城は近江から大坂への物流を意識したもので、坂本城は北方に寄りすぎており、坂本城下の街道は京へとつながるものだった。大津城築城以後は直接大坂へとつながる街道が整備され、大坂城を支える東の玄関口となった。 城主も浅野長吉、増田長盛、新庄直頼、京極高次と豊臣家に縁の深い人々が務めている。 大津城といえば関ヶ原の戦いでの籠城戦で知られ、当時の城主京極高次は畿内では数少ない東軍として城に立て籠もり、柳川城主の立花宗茂や毛利家中の主戦派毛利元康らを釘付けにし、関ヶ原の戦いに間に合わせなかったことは余りにも有名である。 関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601年)には膳所城の築城が決まったため大津城は廃城となり、その資材は膳所城に移され、後に天主が彦根城に移築された。
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