ドイツ南西部バーデン=ヴュルテンベルク州の崖の上あるノイシュヴァンシュタイン城のような物語の中の城である。*1 ドイツ語でLichten(輝く)stein(石)。「ヴュルテンベルク州のおとぎ話の城」「妖精の城」とも呼ばれている。 始まりは12世紀、ゲプハルト・フォン・リヒテンシュタインによって築かれたが内乱と叛乱で2度破壊された後、1389年にヴュルテンベルク家に売却された。 その後家臣に与えられるも、借金のため民間に売却され森林組合の管理小屋として使用された。 1802年ナポレオン戦争で国外に退避し講和を結んで戻って来たフリードリヒ3世は、新たな夏の離宮を建てるため、管理小屋や残っていた城の部位を取り除き城を築いた。 ここまでは、ヨーロッパのどこにでもある至って普通の城としての経緯であった。
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1837年、夏の離宮を探していたフリードリヒ3世の甥、ウラッハ公ヴィルヘルム1世がこの城に眼を付ける。 彼は軍事・芸術・数学・自然科学・美術・歴史とありとあらゆることに造詣が深く、歴史小説『リヒテンシュタイン』にひどく感銘を受けた。 再び森林組合に払い下げられていた城を購入し、小説の世界にあった中世を模した理想の城を築くことにした。建築方法は当時流行っていたゴシック建築の復興運動(ゴシックリバイバル)に則り、ドイツ各地から建築家・美術家が呼び寄せられた。 14世紀から残っていた土台を活かしながら塔・居室・跳ね橋等、小説の記述と挿絵に沿って再現された。その際大砲に熟知していたヴィルヘルム1世は、砲術の弾道計算に基づいた造りを足している。 1842年の完成時には『リヒテンシュタイン』の作者ヴィルヘルム・ハウフの記念碑が建てられ、寡婦となっていた妻が式典に呼ばれている。ちなみに「妖精の城」も『リヒテンシュタイン』から採られた雅称である。 1869年にウラッハ公の居城とされ、現在も居住している。
『ルパン三世 カリオストロの城』のモデルの1つとされており、ドイツ観光局でも採り挙げられている。 他にも断崖にある事から、雑誌『TIME』で「世界で最も不安定な建物トップ10」の9位にランクインしている。
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