高根城は、応永21年(1414)奥山金吾正定則並びに諸士が後醍醐天皇の孫尹良親王を守護して、周智郡奥山(現在の浜松市天竜区水窪町)に仮宮を設け、久頭郷高根の城を築いたのが城の始まりと伝わる。本曲輪の発掘調査により、築城時期が15世紀前半に遡ることは確実な状況であるが、伝承との関連は不明である。 その後奥山氏は、16世紀前半の永正から大永年間(1504~1528)頃に、駿河守護の今川氏の配下に組み入れられ、北遠江のほぼ全域を支配下としている。永禄年間後半(1558~1570)、今川家が凋落傾向をたどると、奥山氏内部で、今川・徳川・武田への帰属を巡って内部分裂が勃発、城は落城したと考えられる。 元亀3年(1572)武田氏が遠江侵攻戦を開始。高根城は、武田氏によって大改修され、国境を守る橋頭保とされたが、武田氏滅亡と共にその使命を終えている。 現在、本曲輪を中心に、発掘調査成果をもとに上屋構造物を含め復元整備が実施され、往時の雄姿を取り戻した。城域を区切る武田氏独自の二重堀切の規模も雄大で、また各曲輪を接続する城内道も検出、復元されている。
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