康正元年(1455年)に運に長けた武士団である簗田氏が、持助の代に水陸交通の要衝であるこの地に築いたとされる。 その重要性は北条氏康がこの城を手に入れた際、「一国を取ったに等しい」と瑞雲院宛の書状に記したことからも窺える。 天正18年(1590年)の小田原征伐後は徳川家康の家臣松平康元が入り、関宿藩を立藩した。 以後小笠原氏、板倉氏、牧野氏、久世氏と城主が代わっていったが、いずれも老中など幕府における重鎮となったため、関宿城は浜松城と同じく出世城と称された。
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