茶臼山城は、1532年頃、備前国北部、周匝(すさい)の領主である笹部勘次郎が築城したとされている。 吉井川本流と吉野川の合流地点にある茶臼山は、備前東部と美作東部の接点であり、周匝平野と飯岡平野を一望できる備前北東部の要衝であった。 また、浦上宗景の居城である天神山城の北方にあり、天神山城の上流を守る拠点としての存在価値が高かった。 城郭の形態は連郭式と呼ばれ、2つの尾根上に約800メートルにわたって土壇築成と削り出しによって城郭施設が構築されていた。 山頂部の本丸は東南に向って広い楕円形をなし、西側に曲輪が連なり、東側には太鼓丸と呼ばれた出丸が置かれていて、当時としては相当の防備を持つ代表的な山城であった。
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