舞鶴城 のバックアップ(No.1)
現実の城情報柳川城の別名。鶴が舞うような姿をしていることが舞鶴城の別名の由来とされる。 この城は筑後国に築かれた平城で九州屈指の堅城とされ、蒲池氏によって建てられた。城主の一人である蒲池鑑盛は「義心、鉄のごとし」と呼ばれ、大友氏の家臣だったが、敵対していた龍造寺隆信が御家騒動で居城の村中城を追われた時、隆信を保護することもあったなど、義に厚い武将だった。 続きをクリックで表示 豊臣秀吉が天下を統一すると、鑑盛と同じく大友氏の家臣であり、秀吉から「忠義も武勇も九州随」と称えられた立花宗茂が、秀吉麾下の直臣として取り立てられ柳川城主となった。 戦国時代に活躍した女性というと徳川四天王である井伊直政を養育した井伊直虎、忍城で石田三成を撃退した成田氏長の娘・甲斐姫などが有名だが、宗茂の妻の誾千代もまた世にしら女性である。 なお柳川といえばドジョウを用いた料理である柳川鍋が有名だが、正確には江戸発祥の料理であって柳川の料理ではない。勘違いには注意しよう。
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