河村城 のバックアップ(No.1)
現実の城情報
相模・甲斐・駿河の国境近くに位置する境目の城で、後北条氏の箱根十城の一つに数えられる。 続きをクリックで表示 永禄11年(1568年)に甲相駿三国同盟が崩壊し、甲斐の武田信玄が駿河の今川氏真を攻撃すると、相模の北条氏康・氏政父子は氏真を庇護し、信玄と対立した。 再び史料で河村城が登場するのは天正10年(1582年)以降で、武田氏滅亡から豊臣秀吉による小田原征伐にかけての時期に相模・甲斐・駿河の国境で緊張が高まり、再び河村口を固めるため河村城が必要となった。 河村城は足柄平野の北西部、丹沢山地南西部に位置し、南を酒匂川が蛇行する独立丘陵の尾根上を東西方向に築かれた。 小田原征伐の際、河村口を固める河村城は箱根口の山中城、足柄口の足柄城などとともに箱根を守る役割を期待されたが、豊臣方によって落城したとされ、その後廃城となった。
コメント
|
Published by (C)DMMゲームズ
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を表示