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比叡尾山城 のバックアップ(No.1)
現実の城情報
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| 所在地 | 広島県三次市畠敷町 |
| 現存状態 | 石垣、堀切、土塁、井戸など |
| 城郭構造 | 山城 |
布野崩れ(クリックで表示)
天文13年(1544年)に尼子氏は大内氏に転じていた三吉氏の比叡尾山城を攻撃した。
これは前年の大内氏による月山富田城攻め失敗を受けた尼子氏の備後方面における反攻の中の1つとされ、最終的には毛利氏の吉田郡山城攻撃も想定されていたとも言われている。
これに対して毛利氏は1000騎の援軍を三吉氏の元へ送ったものの、それを見越して備えていた尼子氏の軍勢に散々に打ち破られてしまった。これを布野崩れという。
だが、翌日三吉勢500騎が比叡尾山城から打って出て奇襲をかけると、尼子勢は一転大混乱に陥り、総崩れとなって出雲に逃げ帰ることとなってしまったという。
これは、尼子勢が毛利勢を打ち破ったことで残るは小規模な城兵のみと油断していたところをつかれてしまったのが原因とされ、このちょっとした油断1つにより尼子氏は備後方面での反攻が頓挫するという高い代償を支払うはめとなった。
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