国府台城 のバックアップ(No.1)
現実の城情報
「こうのだい」と読む。別名を鴻ノ台城・市河(市川)城。ただし市河城はもっと南にあった別の城とも言われ説が別れている。 続きをクリックで表示 実胤は扇谷家配下の石浜城主となったがのちに若くして隠棲*1して旧領奪回は弟の自胤に託され、扇谷家は太田道灌を援軍として下総に向けた。 その後は孝胤以下下総千葉氏の勢力圏となり、太日川を挟んで扇谷上杉、扇谷の衰退後は北条家との勢力境界線上の城になった。
国府台合戦(クリックで表示) 国府台合戦第一次国府台合戦第一次国府台合戦は天文7(1538)年に起きた。古河公方と古河公方から分かれた小弓公方との戦いであり、里見・北条はそれへの援軍であった。 第二次国府台合戦第二次国府台合戦は永禄7(1564)年正月に起きた。第一次合戦の後国府台には千葉氏重臣高城胤吉・胤辰が入り、北条との連絡線を形成した。 夜泣き石(クリックで表示) 夜泣き石第二次国府台合戦で討たれた里見一門の里見広次(弘次とも)の娘が父の霊を弔うために国府台までやってきた。 コメント
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