Top > 岩槻城

岩槻城
HTML ConvertTime 0.066 sec.

現実の城情報 Edit

扇谷上杉氏の家臣として後北条氏に最後まで対抗し、軍用犬の運用でも知られる太田資正の居城。江戸時代以前は岩付城・岩附城とも称された。
文明年間(1469~1486年)に古河公方方の成田正等、あるいは扇谷上杉方の太田道真・道灌父子によって築城されたという。
北から東にかけて荒川が流れ、西には綾瀬川、南には低湿地帯が広がる天然の要害で、築城時に沼一面に竹束を敷き詰めて土を盛ったことから「竹束城」、また低湿地から城を見ると沼に浮かんでいるように見えることから「浮城」とも呼ばれる。
北条氏綱が武蔵に勢力を拡大するようになると、大永4年(1524年)に扇谷上杉朝興の重臣・太田資頼が氏綱に内応して岩槻城を奪取し、これが岩槻太田氏の始まりとなった。


所在地埼玉県さいたま市岩槻区太田内
現存状態門、曲輪、空堀、土塁など
城郭構造平城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 実装キボンヌ -- 2017-05-17 (水) 15:32:47
  • だ、誰だ? -- 2017-05-17 (水) 19:26:53
  • 三周年放送の忍者っぽいのがこの子になりそう -- 2019-03-29 (金) 11:17:38
お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS