近江守護京極氏の居城で、標高669メートルの山上に築かれ、北近江の主要道である越前街道を抑える交通の要衝に位置する。 京極氏は鎌倉時代に近江守護を世襲していた佐々木氏の一族で、文明元年(1469年)に京極持清が約130年ぶりに守護となった。 持清の死後京極氏では内紛が起こり、永正2年(1505年)の講和によって京極高清が惣領と認められた。 高清は山岳寺院である上平寺を改修して守護居館を築き、山麓には京極氏館、山上には詰城の上平寺城を築き、さらに館の南側には家臣や町人が住む守護町「上平寺」を造った。 その後大永3年(1523年)に高清は浅見貞則・浅井亮政らの国人衆によって近江を追われ、上平寺城は浅井氏が改修した。
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上平寺城の姿は江戸時代初期に描かれた「上平寺城絵図」に残されており、絵図での姿は現状の地形や遺構とほぼ一致し、山城の構造や山麓居館の状況を極めて正確に描いている。 このため上平寺城を中心とする遺跡群は戦国大名の姿を今に伝える貴重な文化財として、平成16年(2004年)に「京極氏遺跡 京極氏城館跡・弥高寺跡」に指定された。
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