「海東の盛国」と称され、朝鮮半島北部・中国東北地方東部・沿海州を領有し周辺諸国との交易で繁栄した渤海国の都城。 渤海国を建てたのは中国の史書に「東夷最強」と記され好戦的な集団とみなされていた靺鞨と高句麗遺民で、靺鞨はさかんに囲壁集落や高地性集落を築造していた挹婁の後身にあたる。 挹婁から靺鞨の時代になると防御施設を持った集落の築造はあまり行われなくなったが、渤海国では唐の文化を積極的に取り入れ、第三代の王大欽茂の治世には府州県を全国に設置し、軍事・内政両面での必要性から唐にならった城郭の建設が進められた。 その中でも都である五京の城郭は特筆すべきものであり、特に756年に首都となった上京龍泉府は遺構が良好に保存され、渤海国を代表する都城遺跡となっている。 上京龍泉府は牡丹江沿岸の平坦な台地上に立地し、東西4.6キロメートル、南北3.4キロメートルの城壁に囲まれた内部に、南北方向に7本、東西方向に4本の大路によって分けられた長方形の区画があり、北端中央に宮城・皇城が置かれるという、唐の長安城や日本の平城京と類似した構造となっている。 上京龍泉府は一時的に東京竜原府に都が移ったものの渤海国の首都でありつづけたが、926年に契丹により攻め落とされ渤海国は滅亡した。
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