財務長官ニコラ・フーケの居した宮殿で、ルイ14世の怒りを買い自身の没落という不運を招く結果となった城であり、ルイ14世がヴェルサイユ宮殿を築くにあたり強く刺激を受けた城でもある。 当城の庭園はフランスにおけるバロック様式初期の傑作と称され、絵画の様相さえうかがえる。この庭園を手掛けたのは造園家のル・ノートルであり、フーケが捕われたあとはヴェルサイユ宮殿の庭園を任される。 ル・ノートルのみならず、この宮殿に関わった建築家、彫刻家は皆ヴェルサイユ宮殿へ転用された。そのため、二つの宮殿には建築構造上いくつもの共通点が存在した。 勿論違いも存在する。ヴォー・ル・ヴィコント城を正面から見ると、半球体の丸い頭頂部屋根がこちら側に顔を向けている。この特徴はイスラム式建築では多く見られるが、ヨーロッパ建築には非常に珍しい。
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