首都ブタペストから南西160km、ハンガリー最大の湖バラトン湖の西端にある宮殿である。 古くから開けた土地だったので係争の舞台となりやすく、ローマ帝国・フン帝国・フランク王国・騎馬民族等から守るため数多くの要塞や城が築かれた。 宮殿の始まりもそんな数多くあった古来の城の跡地に、1745年ハプスブルク帝国で評議員を務めたフェシュテティッチ・クリストフ*1によってバロック式で開始され1750年完成した。 その後も増改築され、1792~1804年の孫ジュルジ・ひ孫ラースローが2翼を足しU字型となり、1883~1887年6世孫のタスィローが改築し現在のΩの形状となった。
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この宮殿の1番の特徴は、ハプスブルク帝国の評議員で代々帝国のブレーンであり、後に弁護士一家となり最高裁委員を務めたフェシュテティッチ家の知的財産でもある約9万冊にも及ぶ私立図書館であろう。 築城主クリストフの600冊の蔵書を収めるため専用の部屋を造ったのが始まりで、孫のジュルジ1世が1799年から2年かけて現存しているエンパイア様式*2で増強を行い、ギリシャ神話で「神々の知的な場所」である「ヘリコン」を採り「ヘリコン図書館」と名付けた。 これと合わせ作家・詩人、出版社の支援をしたり、また経済大学とヨーロッパで最初の農業大学を造り生徒や教授陣に図書館を開放したので、古典や文学・経済・哲学・歴史に並びヨーロッパの私設図書館としては珍しく農学関係が充実している。 彼の時代だけで35000冊余りを蒐集しハンガリーの知的文化を大いに促進させた。
ジュルジのひ孫タスィローはネオバロック様式とネオロココ様式で近代化改築を行い、庭園の整備、セントラルヒーティングや水道管を引いている。 図書館への貢献は音楽家と多数交流があり、図書館で1番の価値があると云われるハイドンのサイン楽譜を入手している。 また妻はナポレオンの傍系ひ孫かつ元モナコ公子妃で、持参金として多数の家具や書籍を持ち込み宮殿に華を添えている。 だが、1941年タスィローの子ジュルジ2世が第二次世界大戦の最中急死し、残された息子が1歳にも満たなかったのでウィーンに移り宮殿から去ってしまった。 ハンガリー自身も戦争に敗北しソ連に占領され、1949年共産主義政府によって宮殿は没収、国有化された。
この戦争の最中1つのエピソードが生まれている。 ケストヘイを占領したソ連軍のイリヤ・シェフチェンコ少佐は図書館を見つけると感動し、宮殿の管理人と話し合い図書館の入り口を煉瓦で塞ぎロシア語とハンガリー語で「化学汚染ゾーン」と記したので略奪から逃れることが出来た。 そのためヨーロッパで最大の無傷の図書館となった。この時貴重な家具類も図書館に移されたため調度品の散逸は最小限に食い止められている。 1974年博物館として開かれ、2015年には国費30億フォリント*3が投じられ、大々的な整備や散逸した家具の購入に充てられた。
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