ワラキアのヴラド・ツェペシュ、アルバニアのスカンデルベグ、モルドヴィアのシュテファン大公とともにオスマン帝国のバルカン半島侵攻を度々撃退し、ハンガリーの国民的英雄と称えられるフニャディ・ヤーノシュの居城で、フニャド城ともいう。 14世紀初頭にハンガリー王カーロイ1世が築いた城を、1446年にハンガリー王国の摂政となったフニャディ・ヤーノシュが改修し、自身の居城とした。 チェルナ川の支流沿いにある岩山に築かれ、多数の城塔や二重の城壁に守られた、東欧最大級の城だった。
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ハンガリーの貴族でありつつトランシルヴァニア公でもあったフニャディ・ヤーノシュはワラキアやモルダヴィアへの影響力も強く、一時ワラキアから亡命していたヴラド・ツェペシュはフニャディ・ヤーノシュの支援でワラキア公に復帰している。 フニャディ・ヤーノシュは、1453年にコンスタンティノープルを攻略しバルカン半島への侵攻を本格化させたメフメト2世をベオグラードで破り、「キリスト教世界の守護者」としての名声を確固たるものとしたが、その直後に病死しコルヴィネシティロル城はその重要性を失っていった。
その後コルヴィネシティロル城は牢獄として使われることもあり、フニャディ・ヤーノシュの次男でハンガリー王国の最盛期を築いたマーチャーシュ1世はヴラド・ツェペシュを捕らえ、1462年から7年間コルヴィネシティロル城に幽閉した。 15世紀末にはコルヴィネシティロル城は役割を終え、17世紀には軍事目的での拡張が行われたがその後は荒廃し、19世紀以降になってオーストリア=ハンガリー二重帝国やルーマニア政府によって復興され、現在に至っている。
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