棚倉城 のバックアップの現在との差分(No.4)
現実の城情報福島県東白川郡棚倉町にある平城。江戸時代の寛永2年(1625年)に丹羽長重によって近津明神を遷宮した境内地に築城され、同じく長重により改築された白河小峰城とともに名城として評価されている。 「亀ヶ城」の別名は堀に棲んでいると言われる大亀によるもので、姿を表すと必ず城主が国替えになると言われている。亀ヶ城の異名を持つ城は多くあり、たとえば同じ福島県には、地元では鶴ヶ城と呼ばれる会津若松城の支城である猪苗代城があるが全く関係ない。 「亀ヶ城」の別名は堀に棲んでいると言われる大亀によるもので、姿を表すと必ず城主が国替えになると言われている。亀ヶ城の異名を持つ城は多くあり、たとえば同じ福島県には、地元では鶴ヶ城と呼ばれる会津若松城の支城である猪苗代城があるが全く関係ない。 棚倉城の城下には南から北に水戸街道が通り、関東と東北の境目に位置する城として重視され、内藤氏の後は太田氏、越智松平氏、小笠原氏、井上氏、松井松平氏、阿部氏と親藩・譜代大名がこの地を治めた。 戊辰戦争の時に一日で落城したが、現在は公園となり石垣や本丸を囲む土塁の大部分、本丸の水堀が現存している。本丸は西向きに凸形で、本丸を長方形の二の丸が取り囲んでいる。近年の発掘調査では本丸を全周する多門櫓の礎石が発見され、大規模な改修や修築が見られないことから、棚倉城は寛永期の姿をよく留めていることがわかった。
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