城郭都市コルドバ のバックアップの現在との差分(No.2)
現実の城情報イスラーム時代に「世界の宝石」と讃えられた、アンダルス最大の都市にして西方イスラーム世界の中心地。 コルドバはイベリア半島の南部、グアダルキビル川の北岸、シシエラ・モレナ山脈に位置し、その起源はフェニキアの植民市にまでさかのぼり、カルタゴ、ローマ帝国、西ゴート王国の支配を経て711年にウマイヤ朝の将軍ターリク・イブン・ズィヤード率いるイスラーム軍が征服した。 コルドバはイベリア半島の南部、グアダルキビル川の北岸、シシエラ・モレナ山脈に位置し、その起源はフェニキアの植民市にまでさかのぼり、カルタゴ、ローマ帝国、西ゴート王国の支配を経て711年にウマイヤ朝の将軍ターリク・イブン・ズィヤード率いるイスラーム軍が征服した。 ウマイヤ朝が征服した当時のコルドバは城壁が崩れ落ち、橋も流失した状態の荒廃した辺境の一都市だったが、719年に総督フッル・アルサカフィーは征服軍の本拠地をセビージャからコルドバに移し、750年頃になってキリスト教徒の教会を接収して最初のモスクが建設された。 同じ頃イラクではウマイヤ朝がアッバース朝に滅ぼされ、ウマイヤ家の王族であるアブド・アッラフマーン・ブン・ムアーウィヤがアッバース朝の追及の手を逃れてイベリア半島に渡り、ウマイヤ朝の支持者を糾合して756年にコルドバに入城し、アブド・アッラフマーン1世としてアミールに即位し、後ウマイヤ朝を樹立した。 このアブド・アッラフマーン1世により、コルドバの目覚ましい発展が始まることになる。 続きをクリックで表示 アブド・アッラフマーン1世はグアダルキビル川から飲料水を引き込む水道を敷設し、コルドバを取り囲む城壁の築造を開始した。またダマスカスのカリフを真似てコルドバ郊外に離宮を建設した。 アブド・アッラフマーン3世とその子ハカム2世の死後、後ウマイヤ朝の繁栄には陰りが見え始め、後を継いだヒシャーム2世は12歳の少年だったため国政は母親のスブフが牛耳り、スブフの愛人となったアル・マンスール・ビッ・ラーヒが独裁的な権限を持つようになった。 コルドバは1984年、「コルドバ歴史地区」として世界遺産に登録され、2010年には日本城郭協会によって「城郭都市コルドバ」としてヨーロッパ100名城に選定された。
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