三岳城 のバックアップ差分(No.1)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 南北朝時代、井伊道政が標高466.8メートル、比高430メートルの三岳山に築いたとされ、[[井伊谷城]]に対する詰めの城である。 三岳城は井伊城とも称されるが、井伊谷城も同様に井伊城と称されることがあり、史料読解を難解にしている。 道政は後醍醐天皇の皇子・宗良親王を擁して北朝方の高師泰・仁木義長らと戦ったが、暦応3年(1340年)には三岳城を攻め落とされ、大平城に逃れた。 永正11年(1514年)、[[曳馬城]]主・大河内貞綱が斯波義達と結託し今川氏親に謀反を起こすと、井伊直盛も呼応して三岳城に籠城したが、奥山城に逃れたのちに降伏した。 三岳城は山頂にある本丸は幾重にも土塁が廻らされ、東に少し下がった平地に二の丸を置き、三の丸はこの間を下った中腹の三岳神社がある場所に置かれた。 |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|静岡県浜松市北区引佐町三岳| |現存状態|曲輪、石垣、土塁、横堀| |城郭構造|山城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) |
Published by (C)DMMゲームズ