御城プロジェクトRE 城プロRE 攻略 Wiki
[
ホーム
|
リロード
|
新規
]
サイト内検索
:
[
差分チェッカー
]
[
アップローダー
]
【楽天スーパーDEAL】毎日更新・最大50%ポイントバック!!(広告)
Tweet
Top
> 門屋城
門屋城
の編集
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 「夜叉九郎」の異名で知られる戸沢盛安を輩出した戸沢氏の、鎌倉時代から室町時代にかけての居城。 戸沢氏は陸奥磐手郡滴石庄戸沢郷を本拠としており、「戸沢家系」によると建永元年(1206年)に出羽山本郡鳳仙岱に移って居館を構えたという。鳳仙岱の居館は門屋城の北東約25キロメートルに位置する長者館遺跡とも考えられている。 承久2年(1220年)には門屋庄小館に移った。小館は門屋城の北に隣接する小山田城跡とされる。そして安貞2年(1228年)、戸沢兼盛の代に門屋城が築かれ、15世紀の戸沢家盛の代に[[角館城]]が築かれるまで戸沢氏の居城となった。 角館城に居城が移ってからは門屋城には戸沢氏の一族である宮内氏が入り、その子孫は後に門屋氏を称している。天正18年(1590年)、戸沢氏は戸沢盛安の代で豊臣秀吉による小田原征伐に参陣し所領を安堵され、その弟の光盛も兄の遺領を安堵されたが角館城を除く戸沢三五館は破却され、門屋城も廃城となった。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 門屋城は横手盆地最北端部、出羽山地から東に派生する標高約130メートルの台地上に築かれ、南流する雄物川の支流である桧木内川を東に、そこから西に分流する大羅迦内川を南に見下ろす。 城は本丸、西館、中館、北の丸など7つの曲輪で構成され、全体としては本丸と西館を城域の南端に、北端には北の丸を配置する南北に長い三角形となっている。規模は南辺で約250メートル、南北の長さは約400メートルで、桧木内川に面した東縁と大羅迦内川に面した南縁には切岸状の段丘崖が見られる。 本丸は最も規模が大きく、南辺が東西約120メートル、南北約90メートルの台形で、西側に隣接する西館は東西約90メートル、南北70メートルの方形で本丸と西館は南北に延びる堀で区画される。堀は幅13~17メートル、深さ5~9メートルの薬研堀で、掘り上げられた土が本丸側西縁に盛土され、幅2~3メートル、高さ1~2.5メートルの土塁とされた。 本丸と西館の北側に位置する中館の西側には幅7~10メートル、深さ1.8~3メートルの南北に延びる堀があり、城域の西限となっている。 戸沢氏がここに拠点を置いた理由については、桧木内川上流域が砂金の産地であり坊沢金山などの鉱山開発との関連が考えられ、門屋城の北の丸の西方には鉱山跡に見られる樹枝状の沢状地があり、「金堀沢」の俗称が残る場所もある。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|秋田県仙北市西木町小山田| |現存状態|堀、土塁など| |城郭構造|平山城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 「夜叉九郎」の異名で知られる戸沢盛安を輩出した戸沢氏の、鎌倉時代から室町時代にかけての居城。 戸沢氏は陸奥磐手郡滴石庄戸沢郷を本拠としており、「戸沢家系」によると建永元年(1206年)に出羽山本郡鳳仙岱に移って居館を構えたという。鳳仙岱の居館は門屋城の北東約25キロメートルに位置する長者館遺跡とも考えられている。 承久2年(1220年)には門屋庄小館に移った。小館は門屋城の北に隣接する小山田城跡とされる。そして安貞2年(1228年)、戸沢兼盛の代に門屋城が築かれ、15世紀の戸沢家盛の代に[[角館城]]が築かれるまで戸沢氏の居城となった。 角館城に居城が移ってからは門屋城には戸沢氏の一族である宮内氏が入り、その子孫は後に門屋氏を称している。天正18年(1590年)、戸沢氏は戸沢盛安の代で豊臣秀吉による小田原征伐に参陣し所領を安堵され、その弟の光盛も兄の遺領を安堵されたが角館城を除く戸沢三五館は破却され、門屋城も廃城となった。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 門屋城は横手盆地最北端部、出羽山地から東に派生する標高約130メートルの台地上に築かれ、南流する雄物川の支流である桧木内川を東に、そこから西に分流する大羅迦内川を南に見下ろす。 城は本丸、西館、中館、北の丸など7つの曲輪で構成され、全体としては本丸と西館を城域の南端に、北端には北の丸を配置する南北に長い三角形となっている。規模は南辺で約250メートル、南北の長さは約400メートルで、桧木内川に面した東縁と大羅迦内川に面した南縁には切岸状の段丘崖が見られる。 本丸は最も規模が大きく、南辺が東西約120メートル、南北約90メートルの台形で、西側に隣接する西館は東西約90メートル、南北70メートルの方形で本丸と西館は南北に延びる堀で区画される。堀は幅13~17メートル、深さ5~9メートルの薬研堀で、掘り上げられた土が本丸側西縁に盛土され、幅2~3メートル、高さ1~2.5メートルの土塁とされた。 本丸と西館の北側に位置する中館の西側には幅7~10メートル、深さ1.8~3メートルの南北に延びる堀があり、城域の西限となっている。 戸沢氏がここに拠点を置いた理由については、桧木内川上流域が砂金の産地であり坊沢金山などの鉱山開発との関連が考えられ、門屋城の北の丸の西方には鉱山跡に見られる樹枝状の沢状地があり、「金堀沢」の俗称が残る場所もある。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|秋田県仙北市西木町小山田| |現存状態|堀、土塁など| |城郭構造|平山城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)