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神楽尾城
をテンプレートにして作成
開始行:
*現実の城情報 [#information]
//編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認...
神楽尾城は、津山盆地の中央に位置する神楽尾山の山頂に築か...
築城主は不明となっている。
本丸からは津山盆地全体から果ては日本原まで見渡すことがで...
城の歴史は古く、神楽尾の名前は太平記の頃から見ることが出...
その歴史の中で周辺の大勢力の手を行き来し、赤松氏、山名氏...
|BGCOLOR(#ddd):100|200|c
|所在地|岡山県津山市上田邑|
|現存状態|本丸、二の丸、三の丸|
|城郭構造|山城|
#br
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){名前の由来(クリックで表示)};
}}}
#style(class=submenu){{{
後の森家津山藩が編纂した「作陽誌」(西作誌)によると、神...
曰く、
「遥か昔、山上に天剣神社あり。
夜々神楽の響きが四方に聞こえる。
これを求めても人はおらず。
識者曰く、諸神来り集いてこれを奏でると。
ついには山名となした。」
#br
}}}
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){歴史(クリックで表示)};
}}}
#style(class=submenu){{{
もともと、本城の東には古くは平家城という城があり、承平年...
神楽尾の名は太平記の35巻に初めて登場する。
当時は南北朝時代で、北朝(幕府)側で足利尊氏の死去、仁木...
南朝側の武将山名時氏は、関東から幕府に呼ばれてきていた軍...
しかし、幕府側で上記のような混乱があり、さらには失脚した...
神楽尾城もその兵が分散された中に含まれていた。
その後、北朝側の赤松世貞、赤松則祐らが他の城とあわせて攻...
(神楽尾城の兵がどう振舞ったかは分からないが)
作陽誌によれば、その後も神楽尾城は山名氏と赤松氏の間を行...
#br
その後に大きく状態が変わるのは天文年間に入ってからである。
天文元年より、[[月山富田城]]主の尼子経久の美作侵攻が開始...
作陽誌によれば、山名氏兼、山名小次郎が神楽尾城にいた頃に...
その後、尼子氏が毛利氏に滅ぼされると、神楽尾城には毛利氏...
そのころには美作は大きく毛利、宇喜多、浦上の三勢力により...
#br
後に毛利氏と宇喜多氏が手を組み天正5年に浦上氏を滅ぼすと、...
そして宇喜多直家が秀吉に播磨を奪われたころに毛利氏と宇喜...
この時、神楽尾城と吉井川を挟んで至近距離にある[[荒神山城]...
職秀は戸川宿に間諜を放つことで神楽尾城の動きを察知し、夜...
これが神楽尾城の最期となった。
(津山市史 第2巻(中世)より)
#br
}}}
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)};
}}}
#style(class=submenu){{{
神楽尾城は大きくは三つの曲輪から構成された大規模な山城で...
現在残る姿は主に大蔵甚兵衛尉と千場三郎左衛門の時代に構築...
山頂に本丸があり、東の尾根に二の丸、南の尾根に三の丸が位...
二の丸が少し離れて場所に位置し、他の郭との間を泥田堀、土...
長さが200mほどあり、高い土塁が構築されている。
三の丸と本丸との間には武者溜と馬場がある。
三の丸は放射状の竪堀により防御を固めている。
本丸は東西約40m、南北約45m程の規模で、北と西の側面は切岸...
勾配の緩い南西と南側には帯曲輪、腰曲輪を幾重にも築き防御...
そして本丸内の一段高い場所には、名の由来となった天剣神社...
(津山瓦版より)
#br
}}}
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){神楽尾城にまつわる文献へのリンク(ク...
}}}
#style(class=submenu){{{
作陽誌:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1183736
太平記 35巻:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/878055...
津山市史 第2巻(中世):http://www.tsu-haku.jp/untitle...
津山瓦版:http://www.e-tsuyama.com/kankou/check/kagurao...
#br
}}}
*コメント [#comment]
#pcomment(,reply,10,)
終了行:
*現実の城情報 [#information]
//編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認...
神楽尾城は、津山盆地の中央に位置する神楽尾山の山頂に築か...
築城主は不明となっている。
本丸からは津山盆地全体から果ては日本原まで見渡すことがで...
城の歴史は古く、神楽尾の名前は太平記の頃から見ることが出...
その歴史の中で周辺の大勢力の手を行き来し、赤松氏、山名氏...
|BGCOLOR(#ddd):100|200|c
|所在地|岡山県津山市上田邑|
|現存状態|本丸、二の丸、三の丸|
|城郭構造|山城|
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#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){名前の由来(クリックで表示)};
}}}
#style(class=submenu){{{
後の森家津山藩が編纂した「作陽誌」(西作誌)によると、神...
曰く、
「遥か昔、山上に天剣神社あり。
夜々神楽の響きが四方に聞こえる。
これを求めても人はおらず。
識者曰く、諸神来り集いてこれを奏でると。
ついには山名となした。」
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}}}
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){歴史(クリックで表示)};
}}}
#style(class=submenu){{{
もともと、本城の東には古くは平家城という城があり、承平年...
神楽尾の名は太平記の35巻に初めて登場する。
当時は南北朝時代で、北朝(幕府)側で足利尊氏の死去、仁木...
南朝側の武将山名時氏は、関東から幕府に呼ばれてきていた軍...
しかし、幕府側で上記のような混乱があり、さらには失脚した...
神楽尾城もその兵が分散された中に含まれていた。
その後、北朝側の赤松世貞、赤松則祐らが他の城とあわせて攻...
(神楽尾城の兵がどう振舞ったかは分からないが)
作陽誌によれば、その後も神楽尾城は山名氏と赤松氏の間を行...
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その後に大きく状態が変わるのは天文年間に入ってからである。
天文元年より、[[月山富田城]]主の尼子経久の美作侵攻が開始...
作陽誌によれば、山名氏兼、山名小次郎が神楽尾城にいた頃に...
その後、尼子氏が毛利氏に滅ぼされると、神楽尾城には毛利氏...
そのころには美作は大きく毛利、宇喜多、浦上の三勢力により...
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後に毛利氏と宇喜多氏が手を組み天正5年に浦上氏を滅ぼすと、...
そして宇喜多直家が秀吉に播磨を奪われたころに毛利氏と宇喜...
この時、神楽尾城と吉井川を挟んで至近距離にある[[荒神山城]...
職秀は戸川宿に間諜を放つことで神楽尾城の動きを察知し、夜...
これが神楽尾城の最期となった。
(津山市史 第2巻(中世)より)
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}}}
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)};
}}}
#style(class=submenu){{{
神楽尾城は大きくは三つの曲輪から構成された大規模な山城で...
現在残る姿は主に大蔵甚兵衛尉と千場三郎左衛門の時代に構築...
山頂に本丸があり、東の尾根に二の丸、南の尾根に三の丸が位...
二の丸が少し離れて場所に位置し、他の郭との間を泥田堀、土...
長さが200mほどあり、高い土塁が構築されている。
三の丸と本丸との間には武者溜と馬場がある。
三の丸は放射状の竪堀により防御を固めている。
本丸は東西約40m、南北約45m程の規模で、北と西の側面は切岸...
勾配の緩い南西と南側には帯曲輪、腰曲輪を幾重にも築き防御...
そして本丸内の一段高い場所には、名の由来となった天剣神社...
(津山瓦版より)
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}}}
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&color(White,Maroon){神楽尾城にまつわる文献へのリンク(ク...
}}}
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作陽誌:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1183736
太平記 35巻:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/878055...
津山市史 第2巻(中世):http://www.tsu-haku.jp/untitle...
津山瓦版:http://www.e-tsuyama.com/kankou/check/kagurao...
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*コメント [#comment]
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