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> ボディアム城
ボディアム城
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) ウィリアム1世が勝利した古戦場でも有名な海峡沿岸の街ヘイスティングスから真北に進んだイースト・サセックス州ボディアムの城。 エドワード3世・リチャード2世の二代の王に仕えた騎士エドワード・ダリングリッジが、英仏百年戦争の最中の1385年ごろに建造した。 ダリングリッジはリチャード2世からサセックス地方の海岸防衛命令と築城許可を与えられ、自分の持っていた領主館に代わる城を新築した。 築城に当たっては、ダリングリッジが出征先のフランスで見た築城技術をフィードバックして築かれたといわれる。 また城の南を流れるロザー川は当時舟運が盛んであり、船のままボディアム城の付近まで遡れた。川から引き込んだ水濠で周囲を囲んだ正方形の集中式城郭で、対称形の端整な姿を現在に残している。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ ダリングリッジの死後後継者が相次いで跡継ぎのないまま死んだため、城と領地は彼の姪の嫁ぎ先であるルークノー家に渡り、16世紀までその所有となる。 薔薇戦争当時の当主トマス・ルークノーはランカスター派を支持していたため、リチャード3世が即位すると反逆を企てていると告発された。 対してリチャード3世はサリー伯トマス・ハワード(ハワード家は[[フラムリンガム城]]主でありルークノー家とも親戚)を派遣して城を包囲した。 包囲戦の結果ルークノーは降伏して城代が城に入るが、やがてリチャード3世が敗死してヘンリー7世が即位するとルークノー家に戻された。 16世紀にルークノー家が断絶したあと城は複数の所有者の手を転々とし、イングランド内戦の時は王党派のサネット伯が籠城した。 降伏したのち議会の命令で破壊されたが、内側の居館部分と城門の一部や跳ね橋などに留まり外側には手がつけられなかった。 ボディアム城が経験した実戦らしい実戦は二回のみで、どちらも大規模な攻城戦に発展する前に降伏した為に姿を留めることができた。 #br 18世紀になると古城や廃城を絵画の題材とすることが流行る。ボディアム城もはそのたたずまいが画家の目を引き、作品の題材とされた。 1829年に城を手に入れた大地主のジョン・フラーが荒廃していた城の修復工事を始め、以後の所有者もそれに続いたために城は元の外見を取り戻した。ただし、主郭の居館棟部分は復元できていない。 最後の所有者カーゾン侯爵が1925年に亡くなった後ナショナル・トラストに寄贈され、現在もその下で管理・一般公開されている。 水濠に囲まれた古城というイメージ通りの城として人気が高く、『モンティ・パイソン』や『ドクター・フー』などのロケ地にも使われた。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|イングランド、イースト・サセックス、ボディアム| |現存状態|居館部分以外現存| |城郭構造|集中式城郭| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 城は二重の城壁を持つ集中様式が採用され、その周囲を幅の広い水濠で囲んでいる。キープを持たない典型的な集中式城郭である。 ほぼ正方形の城壁の四隅に石落としや胸壁を持つ円形の塔を配し、南北の辺の中間に城門塔を、東西の辺の中間に四角形の塔を持つ。 南北両方に城門があるがメインとなるのは北の門で、北側は落とし格子戸や殺人孔、跳ね橋を備えた二重の城門で防御していた。 濠の中に島があり、現在の入り口は北側の岸から島を通って真っ直ぐ城に入るが、中世には西側の岸から橋を渡って島で90度右折して城に入っていた。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) ウィリアム1世が勝利した古戦場でも有名な海峡沿岸の街ヘイスティングスから真北に進んだイースト・サセックス州ボディアムの城。 エドワード3世・リチャード2世の二代の王に仕えた騎士エドワード・ダリングリッジが、英仏百年戦争の最中の1385年ごろに建造した。 ダリングリッジはリチャード2世からサセックス地方の海岸防衛命令と築城許可を与えられ、自分の持っていた領主館に代わる城を新築した。 築城に当たっては、ダリングリッジが出征先のフランスで見た築城技術をフィードバックして築かれたといわれる。 また城の南を流れるロザー川は当時舟運が盛んであり、船のままボディアム城の付近まで遡れた。川から引き込んだ水濠で周囲を囲んだ正方形の集中式城郭で、対称形の端整な姿を現在に残している。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ ダリングリッジの死後後継者が相次いで跡継ぎのないまま死んだため、城と領地は彼の姪の嫁ぎ先であるルークノー家に渡り、16世紀までその所有となる。 薔薇戦争当時の当主トマス・ルークノーはランカスター派を支持していたため、リチャード3世が即位すると反逆を企てていると告発された。 対してリチャード3世はサリー伯トマス・ハワード(ハワード家は[[フラムリンガム城]]主でありルークノー家とも親戚)を派遣して城を包囲した。 包囲戦の結果ルークノーは降伏して城代が城に入るが、やがてリチャード3世が敗死してヘンリー7世が即位するとルークノー家に戻された。 16世紀にルークノー家が断絶したあと城は複数の所有者の手を転々とし、イングランド内戦の時は王党派のサネット伯が籠城した。 降伏したのち議会の命令で破壊されたが、内側の居館部分と城門の一部や跳ね橋などに留まり外側には手がつけられなかった。 ボディアム城が経験した実戦らしい実戦は二回のみで、どちらも大規模な攻城戦に発展する前に降伏した為に姿を留めることができた。 #br 18世紀になると古城や廃城を絵画の題材とすることが流行る。ボディアム城もはそのたたずまいが画家の目を引き、作品の題材とされた。 1829年に城を手に入れた大地主のジョン・フラーが荒廃していた城の修復工事を始め、以後の所有者もそれに続いたために城は元の外見を取り戻した。ただし、主郭の居館棟部分は復元できていない。 最後の所有者カーゾン侯爵が1925年に亡くなった後ナショナル・トラストに寄贈され、現在もその下で管理・一般公開されている。 水濠に囲まれた古城というイメージ通りの城として人気が高く、『モンティ・パイソン』や『ドクター・フー』などのロケ地にも使われた。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|イングランド、イースト・サセックス、ボディアム| |現存状態|居館部分以外現存| |城郭構造|集中式城郭| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 城は二重の城壁を持つ集中様式が採用され、その周囲を幅の広い水濠で囲んでいる。キープを持たない典型的な集中式城郭である。 ほぼ正方形の城壁の四隅に石落としや胸壁を持つ円形の塔を配し、南北の辺の中間に城門塔を、東西の辺の中間に四角形の塔を持つ。 南北両方に城門があるがメインとなるのは北の門で、北側は落とし格子戸や殺人孔、跳ね橋を備えた二重の城門で防御していた。 濠の中に島があり、現在の入り口は北側の岸から島を通って真っ直ぐ城に入るが、中世には西側の岸から橋を渡って島で90度右折して城に入っていた。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)