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> デンビー城
デンビー城
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 北ウェールズの丘陵地帯にあるデンビーの町の、キャッスルヒルと呼ばれる丘に建つ城。 エドワード1世によるウェールズ侵攻ののち、エドワードからデンビー周辺を与えられたリンカーン伯ヘンリー・ド・レイシーによって1282年から建てられた。 城が建つのは最後のウェールズ大公ルウェリン(スリウェリン)の弟ダフィズが拠った城砦の跡地で、かつては兄弟の祖父大ルウェリンの居城でもあった。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ ド・レイシーはこの城を築くにあたってエドワードのお抱え技師''マスター・ジェイムズ''に設計を依頼した。 このマスター・ジェイムズは[[カーナーヴォン城]]たち[[アイアンリング>日本100名城#b2a2238d]]の産みの親と呼ぶべき建築家であり、エドワードに従っていくつもの城を築いた。 つまりこの城はアイアンリングたちと同時期に、同じ目的で、同じ人物によって造られた城と言える。しかしアイアンリングには数えられたり数えられなかったりする。 王の直属の城ではなかったためと思われる。これを親戚ととるか腹違い(?)の兄弟姉妹ととるかは人それぞれだろう。 #br 建設途中の1294年にはウェールズ人の反乱によって一時占拠される。奪還した後にヘンリーは主郭の城壁を更に高くするように命じた。 完成までには更に10年近くを要した。この建設によってウェールズ人時代の城砦は跡形もなく消えた。 その後もウェールズ人の度重なる反乱のみならず、ばら戦争などのイングランド側の抗争においても幾度も攻防戦を経験している。 イングランド内戦中にはチャールズ1世が一時的に滞在したこともあるが、その翌年には議会派軍の攻撃を受けて半年の包囲戦の後降伏。 チャールズ2世の王政復古の後も城は修復されることなく放棄され、荒れるに任せられた。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|ウェールズ、デンビーシャー| |現存状態|城壁、城塔| |城郭構造|単郭式+市壁| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 丘の頂上に主郭を置き、その外側に外郭を置きそれぞれを城壁で囲み城塔で防御した比較的オーソドックスな様式。 特筆すべきは主郭北角の主城門で、八角形の塔を三角に配置して繋いで城門を形成する独特の設計になっている。 城門は二重の落とし戸と二重の厚い扉で防御され、外郭との間は跳ね橋で連絡していた。 主郭は六角形で形成されていて、それぞれの角に城塔が置かれた。特に北側のものほど厚く、重点的に防御されていたのがわかる。 東西の城壁には中間に別の塔がある。この東城壁の防御塔と東南側の塔の間に城館があり、東南側の塔は搦め手門を兼ねていた。 以上の遺構は内戦時およびそれ以降にかなり荒廃しているが現在でも見ることができる。 外郭は他のアイアンリングたち同様(比較すれば小規模だが)ここデンビーにも造られた市壁を兼ねており、現在でも一部が現存している。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 北ウェールズの丘陵地帯にあるデンビーの町の、キャッスルヒルと呼ばれる丘に建つ城。 エドワード1世によるウェールズ侵攻ののち、エドワードからデンビー周辺を与えられたリンカーン伯ヘンリー・ド・レイシーによって1282年から建てられた。 城が建つのは最後のウェールズ大公ルウェリン(スリウェリン)の弟ダフィズが拠った城砦の跡地で、かつては兄弟の祖父大ルウェリンの居城でもあった。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ ド・レイシーはこの城を築くにあたってエドワードのお抱え技師''マスター・ジェイムズ''に設計を依頼した。 このマスター・ジェイムズは[[カーナーヴォン城]]たち[[アイアンリング>日本100名城#b2a2238d]]の産みの親と呼ぶべき建築家であり、エドワードに従っていくつもの城を築いた。 つまりこの城はアイアンリングたちと同時期に、同じ目的で、同じ人物によって造られた城と言える。しかしアイアンリングには数えられたり数えられなかったりする。 王の直属の城ではなかったためと思われる。これを親戚ととるか腹違い(?)の兄弟姉妹ととるかは人それぞれだろう。 #br 建設途中の1294年にはウェールズ人の反乱によって一時占拠される。奪還した後にヘンリーは主郭の城壁を更に高くするように命じた。 完成までには更に10年近くを要した。この建設によってウェールズ人時代の城砦は跡形もなく消えた。 その後もウェールズ人の度重なる反乱のみならず、ばら戦争などのイングランド側の抗争においても幾度も攻防戦を経験している。 イングランド内戦中にはチャールズ1世が一時的に滞在したこともあるが、その翌年には議会派軍の攻撃を受けて半年の包囲戦の後降伏。 チャールズ2世の王政復古の後も城は修復されることなく放棄され、荒れるに任せられた。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|ウェールズ、デンビーシャー| |現存状態|城壁、城塔| |城郭構造|単郭式+市壁| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 丘の頂上に主郭を置き、その外側に外郭を置きそれぞれを城壁で囲み城塔で防御した比較的オーソドックスな様式。 特筆すべきは主郭北角の主城門で、八角形の塔を三角に配置して繋いで城門を形成する独特の設計になっている。 城門は二重の落とし戸と二重の厚い扉で防御され、外郭との間は跳ね橋で連絡していた。 主郭は六角形で形成されていて、それぞれの角に城塔が置かれた。特に北側のものほど厚く、重点的に防御されていたのがわかる。 東西の城壁には中間に別の塔がある。この東城壁の防御塔と東南側の塔の間に城館があり、東南側の塔は搦め手門を兼ねていた。 以上の遺構は内戦時およびそれ以降にかなり荒廃しているが現在でも見ることができる。 外郭は他のアイアンリングたち同様(比較すれば小規模だが)ここデンビーにも造られた市壁を兼ねており、現在でも一部が現存している。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)