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> ケニルワース城
ケニルワース城
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) イングランド中部の主要都市コヴェントリーと[[ウォリック城]]のあるウォリックのほぼ中間にある城。湖と水濠に囲まれた堅城として名を馳せた。 1122年ごろヘンリー1世によって建てられ一度下賜されたが、子のヘンリー2世によって買い戻される。 のちヘンリー2世の孫ヘンリー3世は娘エレノアに城を与えた(後述)。 その後も王家の城になったり王の寵臣に下賜されたりを繰り返しており、一度は王の居城ともなった。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ #br ことに有名なのはエリザベス1世の寵臣ロバート・ダドリーが1575年に女王を城に招いて催した大掛かりな宴であり、19日間続いた宴には1日1000ポンドの費用がかけられた。 19世紀にはこの宴とエリザベスとダドリーを題材にしたウォルター・スコットによる小説『ケニルワース』が出版され人気を博した。 そのような王家に近しい城であった経緯から、イングランド内戦では議会派軍の攻撃目標となり、1649年に落城・破壊された。 今に残る遺構は17世紀までの改装のものとそれ以前のものが混在している。またかつて城を囲んでいた湖は農地として干拓され、姿を消した。 #br }}} #br |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|イングランド、ウェスト・ミッドランズ、ウォリックシャー、ケニルワース| |現存状態|一部現存 城塔、城壁、庭園| |城郭構造|連郭式水城| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 主郭、外郭とその二つを繋ぐ細長い堤状の郭の3部分に分けられる。「長経路型」とも呼ばれる構造。城地すべてが湖と水濠によって囲まれたうえにそれぞれの郭もまた城壁に囲まれ、高い防御力を発揮した。 外郭と長堤の間に主城門、堤と主郭の間に内城門を備え、さらに主郭北側の搦手も城門を築いて守りを固めてある。 主城塔(キープ)は元あったと思われるモットを削って均した上に築かれ、視界と射界を確保していた。 }}} #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){ケニルワース城攻囲戦(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **ケニルワース城攻囲戦 ヘンリー3世の娘エレノア(エレアノール)王女と結婚し城主となったのが、イギリス議会制度の祖、レスター伯シモン・ド・モンフォールであった。 シモンとヘンリー3世が対立するようになった経緯は長くなるので割愛するが、ともあれ1264年、先に結んだオックスフォード条項をヘンリー3世が一方的に破棄したため、シモンは再びヘンリー3世に反旗を翻す。これが第2次バロン戦争(シモン・ド・モンフォールの乱)である。 ルイスの戦いでヘンリー3世と皇太子エドワードを捕虜にするなど優勢に戦いを進めていたシモンだが、エドワードが脱走し王党派軍とともに反撃に転じ、1265年8月イヴシャムの戦いでエドワード軍によってシモンは討ち取られてしまう。 1266年6月、シモンの居城だったケニルワース城にも討伐軍が差し向けられ降伏勧告が送られるが、守備側はこれを拒否して包囲戦となる。 #br 国王軍は2基の攻城櫓やいくつものトレビュシェット・カタパルトなどの投射兵器を備えて城を攻めたが、湖と濠に囲まれた城に対しては決定的なダメージを与えられなかった。 7ヶ月にも渡る攻防戦の末、1266年12月になってついに食料が尽きて城は開城降伏する。最後まで敵兵に城地を踏ませることのないままの降伏であった。 守備側の兵は戦闘開始時1000から1200人はいたと見られており、攻め手の数は不明だが一気に攻め落とせるほどの数を揃えられなかったのも長期化の一因だろう。 #br この戦いに攻め手として従軍し、湖に囲まれた城の防御力に舌を巻いたハートフォード伯兼グロスター伯ギルバート・ド・クレアは自領内に城を築き、川をせき止めた湖で城を囲んだ。 これがウェールズの堅城[[カーフィリー城>ケルフィリー城]]である。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) イングランド中部の主要都市コヴェントリーと[[ウォリック城]]のあるウォリックのほぼ中間にある城。湖と水濠に囲まれた堅城として名を馳せた。 1122年ごろヘンリー1世によって建てられ一度下賜されたが、子のヘンリー2世によって買い戻される。 のちヘンリー2世の孫ヘンリー3世は娘エレノアに城を与えた(後述)。 その後も王家の城になったり王の寵臣に下賜されたりを繰り返しており、一度は王の居城ともなった。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ #br ことに有名なのはエリザベス1世の寵臣ロバート・ダドリーが1575年に女王を城に招いて催した大掛かりな宴であり、19日間続いた宴には1日1000ポンドの費用がかけられた。 19世紀にはこの宴とエリザベスとダドリーを題材にしたウォルター・スコットによる小説『ケニルワース』が出版され人気を博した。 そのような王家に近しい城であった経緯から、イングランド内戦では議会派軍の攻撃目標となり、1649年に落城・破壊された。 今に残る遺構は17世紀までの改装のものとそれ以前のものが混在している。またかつて城を囲んでいた湖は農地として干拓され、姿を消した。 #br }}} #br |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|イングランド、ウェスト・ミッドランズ、ウォリックシャー、ケニルワース| |現存状態|一部現存 城塔、城壁、庭園| |城郭構造|連郭式水城| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 主郭、外郭とその二つを繋ぐ細長い堤状の郭の3部分に分けられる。「長経路型」とも呼ばれる構造。城地すべてが湖と水濠によって囲まれたうえにそれぞれの郭もまた城壁に囲まれ、高い防御力を発揮した。 外郭と長堤の間に主城門、堤と主郭の間に内城門を備え、さらに主郭北側の搦手も城門を築いて守りを固めてある。 主城塔(キープ)は元あったと思われるモットを削って均した上に築かれ、視界と射界を確保していた。 }}} #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){ケニルワース城攻囲戦(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **ケニルワース城攻囲戦 ヘンリー3世の娘エレノア(エレアノール)王女と結婚し城主となったのが、イギリス議会制度の祖、レスター伯シモン・ド・モンフォールであった。 シモンとヘンリー3世が対立するようになった経緯は長くなるので割愛するが、ともあれ1264年、先に結んだオックスフォード条項をヘンリー3世が一方的に破棄したため、シモンは再びヘンリー3世に反旗を翻す。これが第2次バロン戦争(シモン・ド・モンフォールの乱)である。 ルイスの戦いでヘンリー3世と皇太子エドワードを捕虜にするなど優勢に戦いを進めていたシモンだが、エドワードが脱走し王党派軍とともに反撃に転じ、1265年8月イヴシャムの戦いでエドワード軍によってシモンは討ち取られてしまう。 1266年6月、シモンの居城だったケニルワース城にも討伐軍が差し向けられ降伏勧告が送られるが、守備側はこれを拒否して包囲戦となる。 #br 国王軍は2基の攻城櫓やいくつものトレビュシェット・カタパルトなどの投射兵器を備えて城を攻めたが、湖と濠に囲まれた城に対しては決定的なダメージを与えられなかった。 7ヶ月にも渡る攻防戦の末、1266年12月になってついに食料が尽きて城は開城降伏する。最後まで敵兵に城地を踏ませることのないままの降伏であった。 守備側の兵は戦闘開始時1000から1200人はいたと見られており、攻め手の数は不明だが一気に攻め落とせるほどの数を揃えられなかったのも長期化の一因だろう。 #br この戦いに攻め手として従軍し、湖に囲まれた城の防御力に舌を巻いたハートフォード伯兼グロスター伯ギルバート・ド・クレアは自領内に城を築き、川をせき止めた湖で城を囲んだ。 これがウェールズの堅城[[カーフィリー城>ケルフィリー城]]である。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)