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> キドウェリー城
キドウェリー城
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 南ウェールズの海岸からも近い町キドウェリーのグウェンドラス川沿いに建つ城。この川を経由して海まで船で出られる。 川と半円形の堀に囲まれ、シンメトリーで均整の取れた城の姿を現在まで残している。 12世紀初期、ノルマン朝イングランドがウェールズに進出しはじめた時期にソールズベリー大司教ロジャーによって最初の城が建てられた。 ウェールズ勢との攻防戦で持ち主が数回入れ替わり、1280年前後にチャワース卿が城主となったのちノルマン式の石造の城に作り変えられる。 この時中央に四隅に円形塔を持つ正方形の主郭、その外に城壁の塔と城門塔で防御した外郭、更にそれを外濠で囲むという典型的な集中式城郭が採用され、現在に至る城の形が整った。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 採用されたこの集中様式は当時の王エドワード1世が広く採用したもので、城主チャワース卿は王太子時代のエドワードとともに十字軍に参加している。 このときの経験に加えてエドワードの建造した[[アイアンリング>日本100名城#b2a2238d]]たちや同じウェールズ南部にある[[カーフィリー城>ケルフィリー城]]を模範にしたと思われる。 ただし川に面する(川を背にする)立地のため城地は集中様式の城を半分に割ったような半円形となり、これがこの城の外観上の特徴となっている。 #br その後チャワース家の娘との結婚によりランカスター伯の城となり、更にランカスター家の祖ジョン・オブ・ゴーントが城門部分の改修を命じた。 1403年と1404年にオワイン・グリンドゥールの反乱軍とその増援として介入したフランス・ブルターニュ軍に攻められる。守備兵は寡兵であったがよく耐え、奮闘の末にこれを撃退するものの、再建途中だった主城門はこの戦いで大きく損壊した。 損壊した主城門は居住空間を含んだ大型のものに拡大強化して再建され1422年に完成する。現在残る主城門はこのときのもの。 その後は大きな戦いを経験することもなく、17世紀に一時期法廷として利用されたのちは廃墟となった。 現在はウェールズのCadw(歴史遺産保存協会)の管理下におかれている。 #br コメディ映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』に外見のみ一瞬だけ登場している。 またブリテン島の古城に付き物の幽霊話としては、1136年に処刑されたデハイバース王国の王妃グウェンリアンの首なし幽霊がいる。 このグウェンリアン妃はウェールズ一を称されたほどの美貌と、夫とともに戦陣に臨んだ女傑という二面性で人気がある。 夫が不在の間に領土に攻め込んだイングランド勢と戦うがキドウェリー近郊で捕虜となり、その後キドウェリー城内で処刑されたという。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|ウェールズ、カーマーゼンシャー、キドウェリー| |現存状態|主要部分は現存| |城郭構造|集中式城郭|
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 南ウェールズの海岸からも近い町キドウェリーのグウェンドラス川沿いに建つ城。この川を経由して海まで船で出られる。 川と半円形の堀に囲まれ、シンメトリーで均整の取れた城の姿を現在まで残している。 12世紀初期、ノルマン朝イングランドがウェールズに進出しはじめた時期にソールズベリー大司教ロジャーによって最初の城が建てられた。 ウェールズ勢との攻防戦で持ち主が数回入れ替わり、1280年前後にチャワース卿が城主となったのちノルマン式の石造の城に作り変えられる。 この時中央に四隅に円形塔を持つ正方形の主郭、その外に城壁の塔と城門塔で防御した外郭、更にそれを外濠で囲むという典型的な集中式城郭が採用され、現在に至る城の形が整った。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 採用されたこの集中様式は当時の王エドワード1世が広く採用したもので、城主チャワース卿は王太子時代のエドワードとともに十字軍に参加している。 このときの経験に加えてエドワードの建造した[[アイアンリング>日本100名城#b2a2238d]]たちや同じウェールズ南部にある[[カーフィリー城>ケルフィリー城]]を模範にしたと思われる。 ただし川に面する(川を背にする)立地のため城地は集中様式の城を半分に割ったような半円形となり、これがこの城の外観上の特徴となっている。 #br その後チャワース家の娘との結婚によりランカスター伯の城となり、更にランカスター家の祖ジョン・オブ・ゴーントが城門部分の改修を命じた。 1403年と1404年にオワイン・グリンドゥールの反乱軍とその増援として介入したフランス・ブルターニュ軍に攻められる。守備兵は寡兵であったがよく耐え、奮闘の末にこれを撃退するものの、再建途中だった主城門はこの戦いで大きく損壊した。 損壊した主城門は居住空間を含んだ大型のものに拡大強化して再建され1422年に完成する。現在残る主城門はこのときのもの。 その後は大きな戦いを経験することもなく、17世紀に一時期法廷として利用されたのちは廃墟となった。 現在はウェールズのCadw(歴史遺産保存協会)の管理下におかれている。 #br コメディ映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』に外見のみ一瞬だけ登場している。 またブリテン島の古城に付き物の幽霊話としては、1136年に処刑されたデハイバース王国の王妃グウェンリアンの首なし幽霊がいる。 このグウェンリアン妃はウェールズ一を称されたほどの美貌と、夫とともに戦陣に臨んだ女傑という二面性で人気がある。 夫が不在の間に領土に攻め込んだイングランド勢と戦うがキドウェリー近郊で捕虜となり、その後キドウェリー城内で処刑されたという。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|ウェールズ、カーマーゼンシャー、キドウェリー| |現存状態|主要部分は現存| |城郭構造|集中式城郭| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)