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> エルヴァス
エルヴァス
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*コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) エルヴァス、または国境防衛都市エルヴァス(要塞都市エルヴァス)は、ポルトガルとスペインの国境地帯にある要塞都市。世界遺産。 現在はポルトアレグレ県に属し、スペインの国境要塞の街バダホスとは約12kmの距離を隔てて向かい合っている。 17世紀、ポルトガルがスペインとの連合を解消して独立を回復した王政復古戦争の時代に国境防御のために建造された。 多角式の堡塁と堀で丘の上の街を取り囲む典型的な星型要塞の都市防衛陣地は世界でも数少ない、完璧といっていい形で残る実物。 更に街の南北に支城というべき別の星型要塞二つ、後代になってから追加された三つの小要塞を備える堅陣である。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ エルヴァス自体の歴史はローマ時代末期に遡る。ゴート人またはケルト人の入植地として城壁を持った町があった。 8世紀前半にムーア人によって占領され、「アル・バシュ」という名で呼ばれるようになった。これが転訛してエルヴァスとなる。 ムーア人時代に旧ローマ軍拠点の跡地に城が築かれ、現在も要塞の北の一角を占めている。この城は四角形の城地を城壁と四隅の塔で防御したイスラム風装飾のある囲郭式城郭である。 レコンキスタの途上1166年にアフォンソ1世が占領するがすぐに奪い返され、1229年サンシュ2世王の時にポルトガルの支配下に入った。 レコンキスタ以前も以降もエルヴァスは城壁を持っていたが、それらのほとんどはのちの要塞建築時に失われてしまった。 水道を市内に敷設する計画が15世紀末に持ち上がり、1529年から1622年まで1世紀近くを費やして全長7.5kmに及ぶ水道橋が建設された。 これが現在も現用され世界遺産の一端をなすイベリア半島最長の水道橋、『アモレイラの水道橋』である。 #br 1640年、ポルトガルがスペインからの独立回復を宣言すると、スペインの有力な拠点バダホスからポルトガルの首都リスボンへ直通で向かう街道上にあったエルヴァスは国境防衛の拠点、かつ同時にスペイン領土への出撃拠点としてクローズアップされるようになり、当時最新の技術を盛り込んだ防御堡塁が1643年から建設された。 後述するエルヴァスの戦いを皮切りに数度にわたる攻城戦を経験し、19世紀に至るまでその築城目的を果たし続けた。 ナポレオン期半島戦争でも二度の攻城戦を経験し、1808年はフランス軍に占領されたが1811年には救援軍の来着まで持ちこたえた。 なおこのときの戦いに参戦したイギリス軍イベリア派遣軍の死者を葬った墓地が街の中にある。 1906年に国定史跡に指定され、2012年には支城群と併せて『国境防衛都市エルヴァスとその要塞群』として世界遺産に登録された。 }}} #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){エルヴァスの戦い(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **エルヴァスの戦い 要塞としてのエルヴァスはその築城目的どおり攻城戦を何度も何度も経験している。 中でも王政復古戦争中の1659年の戦いはポルトガル史上に残る戦いであった。 #br 1658年、王政復古戦争は18年目に入り、南部戦線は小競り合いが続くだけの膠着状態となっていた。このころポルトガル軍主力は北部地域にいて南部は手薄となっていた。それを突く形でスペイン軍が大挙攻勢をかける。その目標となったのがここエルヴァス要塞だった。 12月、カルピオ侯爵ルイス・デ・アロ率いる歩兵1万4000騎兵3500その他攻城砲兵の軍勢がエルヴァスに襲来。攻城壕を築き始めた。 守備隊の発した救援要請に、摂政ルイサ王妃((国王アフォンソ6世の母))はカンタニェデ伯爵アントニオ・デ・メネセスとデ・ビリェナ将軍に救援を命じる。 メネセスは兵をかき集めて歩兵8000騎兵2500砲7門を編成し救援に向かった。対するカルピオ候も援軍が必ず来ると踏み警戒していた。 #br 年が明けて1659年1月17日の朝。ポルトガル救援軍がまず攻撃を仕掛け、これにスペイン軍が応戦しエルヴァスの戦いが始まる。 メネセスは歩兵と砲兵を巧みに連動させてスペイン騎兵の突撃を押し止め、そこにポルトガル騎兵が逆襲をかけるという戦法で戦果を上げた。更にメネセスは軍を二つに分け、一手を塹壕正面に向かわせ一手を側面に回りこませた。カルピオ候はこれを見抜けなかった。 午後になりメネセスの本隊と別働隊、更にエルヴァスから出撃した守備隊が加わってスペイン軍は挟撃されることになった。カルピオ候はこれ以上の交戦は無理と判断し撤退。スペイン軍の戦列は崩壊する。メネセスは追撃の手を緩めず、バダホスへと敗走するスペイン軍は1万以上の捕虜と死傷者を出した。 ポルトガル軍は死者200負傷700。ポルトガルの圧勝、スペインの惨敗であった。メネセスはこの勝利によってマリアルバ侯爵に叙された。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|ポルトガル、アルト・アレンテージョ、ポルタレグレ県、エルヴァス| |現存状態|現存| |城郭構造|星型要塞| #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 大きく分けて7つの稜堡・角堡と南北の支要塞が相互に支援しあえるように設計された。 突角型の堡塁と空堀が場所によっては二重三重に市街地を防御している。 その壮大なスケールは一見の価値があり、Googlemap等の衛星映像でも十分にうかがい知れる。 以下はエルヴァスの市街本体とは別に外側に付属する要塞群である。 ''・サンタ・ルジア要塞'' 市街の南側の微高地を占める星型要塞。1641年、本体の要塞化工事に先駆けて建築が開始された。現在でも兵舎などが残る。 ''・ノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ要塞'' 市街の北側、小川の谷を挟んだ丘の上を占める星型要塞。軍事技術、特に大砲の発展に伴って1763年から1792年にかけて新たに建造された。 平面形はルジア要塞に近いが、北側に更に堡塁が二重に追加されている。一時期捕虜収容所または刑務所としても使われた。 世界遺産指定後に保存修復工事が行われ2015年に再オープン。ちなみに正式名称の意味は『聖母マリアの恩寵』。 ''・小要塞群'' ナポレオンによる侵攻に対して死角を補強する目的で急造された守備陣地。サン・マメデ、サン・ペドロ、サン・フランシスコ、サン・ドミンゴスの4つの小要塞が建造された。サン・フランシスコのみ現存しない。 他の要塞および堡塁と違い急造されたこともあり単純な方形の陣地となっている。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)