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> アニック城
アニック城
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) イングランド北部のアルン川沿いに建つ、ノーサンバランド公爵家の現''居城''。居城として用いられている城としては[[ウィンザー城]]に次ぐ大きさである。 スコットランド勢力の侵入を防ぎアルン川を渡る街道を守るために、1096年から在地ノルマン系貴族のイヴ・ド・ヴェシーによって建造された城を起源とする。 建築された当初は木造だったが後に石造に改築された。 ヴェシー家が断絶したのちダラム司教アンソニー・ベックの所有を経て1309年に初代パーシー男爵ヘンリーが司教から城を購入。その後現在に至るまでの700年以上にわたってパーシー家の主城となる。 その後のこの城の歴史は、すなわちパーシー家の歴史とほぼ同義であると言っても過言ではない。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ ヘンリーはアニック城の拡張を計画したが実行に移したのはその息子で同名の2代男爵だった。 1346年、ネヴィルズクロスの戦いでスコットランド貴族多数を捕虜とする戦果を上げた彼はその身代金を元手に城の大強化に乗り出す。 現代に残るアボット・タワー、コンスタブル・タワー、そして城の中門はこの時に増設されたものである。 この改修によってアニック城はイングランド・スコットランド国境地帯の強力な城塞として名を馳せるようになる。 この城を拠点としてパーシー家はイングランド北部有数の有力貴族となり、以降[[バンバラ城]]、[[ワークワース城]]など複数の城を傘下に収める。そして4代男爵の時にノーサンバランド伯爵に叙される。 #br しかしリチャード2世に冷遇された初代伯とその息子(通称ホットスパー)は王の従兄弟ヘンリーのクーデターと即位を支援するものの、そのヘンリー4世とものちに不仲となり反乱を起こす。 ホットスパーはシュルーズベリーの戦いで戦死し、アニック城も一度破壊される。のちに再建しその後の薔薇戦争で落城しまた再建、と繰り返した。 このホットスパーの乱についてはシェイクスピアの史劇『ヘンリー四世』に詳しい。 #br 城だけでなく伯爵家自体も反乱((ホットスパーの父初代伯がもう一度起こした反乱))で一度取り潰されるがその後再興、薔薇戦争で当主が戦死しまた再興、宗教改革で当主が処刑されもう一度再興、さらに『火薬陰謀事件』として知られる上院議場爆破計画に連座して9代伯が失脚するなど紆余曲折を経る。 11代ノーサンバランド伯は跡取りのないまま没したため、伯爵位は孫にあたるサマセット公を経てその娘のエリザベスと結婚したヒュー・スミソンが1750年に継承。 スミソンは伯爵位継承とともにパーシー姓に改姓し、のち1766年ノーサンバランド公爵に叙される。これが現在のノーサンバランド公爵家である。 全盛期の18万エーカーに達する領地からは目減りしたが、現在でも10万エーカー以上の土地を所有する有数の大地主である。 #br 18世紀に入ると城塞としても居住用としてもさすがに古く不便になり、大改装を受けてカントリーハウスと呼ばれる貴族の館として生まれ変わった。 現在も公爵家の居城として使われ続けているほか公爵家の財産を管理するためのオフィスも備えられている。また敷地の一部は学校にもなった。 城地の大部分と城館の一部、それから大庭園(後述)は一般に公開されているが、3月末から10月末までの観光シーズンに限られている。 現代に残るカントリーハウスの実物や中近世を色濃く残す城として映像作品に登場する機会も多く、『ロビンフッド』『エリザベス』『ハリー・ポッター』などの映画や『ブラックアダー』『ダウントンアビー』などの連続テレビドラマのロケ地としても使われている。ロケ地巡りのファンも多い。 『ハリー・ポッター』では序盤の箒で飛ぶ授業をするシーンやホグワーツの校庭シーンなどがこの城で撮影されたものであり、ファン向けのイベントも行われている。 }}} #br |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|イングランド、ノーサンバーランド、アニック| |現存状態|現用| |城郭構造|囲郭式| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 元々はモットアンドベイリー式の城だったが、度重なる改修・改築によってモットはほぼ原形を留めていない。 中央部のシェルキープタイプのメインキープを挟んで東側が上ベイリー、西側が下ベイリーとなる。全体を城壁で囲み塔と城門塔で防御した囲郭式城郭である。 なお東側のライオン門は18世紀に追加された門に19世紀の改築で塔を追加したもの。それまでは東側に門はなかった。 一部の門・塔・城壁に14世紀の大改修時のものが残るほか、西側の主城門は1475年に4代伯爵によって建てられたもの。 現在城の南側に建つ城館部分は18世紀の大改装で城壁を崩して新造されたもので、さらに19世紀にも改築を受けている。 19世紀の改築ではメインキープにもかなり手が入っており、一部はこのとき取り壊されて教会堂になっている。 }}} #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){アニック・ガーデン}; }}} #style(class=submenu){{{ **アニック・ガーデン アニック・カースル・ガーデンとしても知られる、アニック城に隣接する総面積42エーカー(約17ヘクタール)に達する大庭園。 もちろん元はノーサンバランド公の私有地である。こちらは城と違い一年を通じて公開されている。 実は現在の公爵夫人の発案によってつい先年作られたもの。かかった総事業費は4200万ポンド(約55億~63億円)に達するという。 2001年に開園し年間50万人以上の来園客がある。イギリス一を謳うカスケード(階段式噴水)や3000種類を数えるバラ園などが見もの。 「公爵家の家族が楽しめるように」という当初計画で作り始めたため、迷路やアスレチック、ツリーハウスなどもある。 2005年には庭園の一角に100種類以上の&color(Red){毒草};のみを集めた植物園、その名も「''&color(Purple){ポイズン・ガーデン};''」がオープンしこちらも人気に。 常に施錠されて専任の案内人が同行しないと入場できない、入場客の中には失神した人もいるとかいうガチの毒物園。 ちなみにこちらの発案者も公爵夫人。いわく『だいたいの子供は薬草より毒草のほうに興味を持ちますよ』とのことらしい。&color(Silver){そりゃそうかもしれないけども。}; }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) イングランド北部のアルン川沿いに建つ、ノーサンバランド公爵家の現''居城''。居城として用いられている城としては[[ウィンザー城]]に次ぐ大きさである。 スコットランド勢力の侵入を防ぎアルン川を渡る街道を守るために、1096年から在地ノルマン系貴族のイヴ・ド・ヴェシーによって建造された城を起源とする。 建築された当初は木造だったが後に石造に改築された。 ヴェシー家が断絶したのちダラム司教アンソニー・ベックの所有を経て1309年に初代パーシー男爵ヘンリーが司教から城を購入。その後現在に至るまでの700年以上にわたってパーシー家の主城となる。 その後のこの城の歴史は、すなわちパーシー家の歴史とほぼ同義であると言っても過言ではない。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ ヘンリーはアニック城の拡張を計画したが実行に移したのはその息子で同名の2代男爵だった。 1346年、ネヴィルズクロスの戦いでスコットランド貴族多数を捕虜とする戦果を上げた彼はその身代金を元手に城の大強化に乗り出す。 現代に残るアボット・タワー、コンスタブル・タワー、そして城の中門はこの時に増設されたものである。 この改修によってアニック城はイングランド・スコットランド国境地帯の強力な城塞として名を馳せるようになる。 この城を拠点としてパーシー家はイングランド北部有数の有力貴族となり、以降[[バンバラ城]]、[[ワークワース城]]など複数の城を傘下に収める。そして4代男爵の時にノーサンバランド伯爵に叙される。 #br しかしリチャード2世に冷遇された初代伯とその息子(通称ホットスパー)は王の従兄弟ヘンリーのクーデターと即位を支援するものの、そのヘンリー4世とものちに不仲となり反乱を起こす。 ホットスパーはシュルーズベリーの戦いで戦死し、アニック城も一度破壊される。のちに再建しその後の薔薇戦争で落城しまた再建、と繰り返した。 このホットスパーの乱についてはシェイクスピアの史劇『ヘンリー四世』に詳しい。 #br 城だけでなく伯爵家自体も反乱((ホットスパーの父初代伯がもう一度起こした反乱))で一度取り潰されるがその後再興、薔薇戦争で当主が戦死しまた再興、宗教改革で当主が処刑されもう一度再興、さらに『火薬陰謀事件』として知られる上院議場爆破計画に連座して9代伯が失脚するなど紆余曲折を経る。 11代ノーサンバランド伯は跡取りのないまま没したため、伯爵位は孫にあたるサマセット公を経てその娘のエリザベスと結婚したヒュー・スミソンが1750年に継承。 スミソンは伯爵位継承とともにパーシー姓に改姓し、のち1766年ノーサンバランド公爵に叙される。これが現在のノーサンバランド公爵家である。 全盛期の18万エーカーに達する領地からは目減りしたが、現在でも10万エーカー以上の土地を所有する有数の大地主である。 #br 18世紀に入ると城塞としても居住用としてもさすがに古く不便になり、大改装を受けてカントリーハウスと呼ばれる貴族の館として生まれ変わった。 現在も公爵家の居城として使われ続けているほか公爵家の財産を管理するためのオフィスも備えられている。また敷地の一部は学校にもなった。 城地の大部分と城館の一部、それから大庭園(後述)は一般に公開されているが、3月末から10月末までの観光シーズンに限られている。 現代に残るカントリーハウスの実物や中近世を色濃く残す城として映像作品に登場する機会も多く、『ロビンフッド』『エリザベス』『ハリー・ポッター』などの映画や『ブラックアダー』『ダウントンアビー』などの連続テレビドラマのロケ地としても使われている。ロケ地巡りのファンも多い。 『ハリー・ポッター』では序盤の箒で飛ぶ授業をするシーンやホグワーツの校庭シーンなどがこの城で撮影されたものであり、ファン向けのイベントも行われている。 }}} #br |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|イングランド、ノーサンバーランド、アニック| |現存状態|現用| |城郭構造|囲郭式| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 元々はモットアンドベイリー式の城だったが、度重なる改修・改築によってモットはほぼ原形を留めていない。 中央部のシェルキープタイプのメインキープを挟んで東側が上ベイリー、西側が下ベイリーとなる。全体を城壁で囲み塔と城門塔で防御した囲郭式城郭である。 なお東側のライオン門は18世紀に追加された門に19世紀の改築で塔を追加したもの。それまでは東側に門はなかった。 一部の門・塔・城壁に14世紀の大改修時のものが残るほか、西側の主城門は1475年に4代伯爵によって建てられたもの。 現在城の南側に建つ城館部分は18世紀の大改装で城壁を崩して新造されたもので、さらに19世紀にも改築を受けている。 19世紀の改築ではメインキープにもかなり手が入っており、一部はこのとき取り壊されて教会堂になっている。 }}} #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){アニック・ガーデン}; }}} #style(class=submenu){{{ **アニック・ガーデン アニック・カースル・ガーデンとしても知られる、アニック城に隣接する総面積42エーカー(約17ヘクタール)に達する大庭園。 もちろん元はノーサンバランド公の私有地である。こちらは城と違い一年を通じて公開されている。 実は現在の公爵夫人の発案によってつい先年作られたもの。かかった総事業費は4200万ポンド(約55億~63億円)に達するという。 2001年に開園し年間50万人以上の来園客がある。イギリス一を謳うカスケード(階段式噴水)や3000種類を数えるバラ園などが見もの。 「公爵家の家族が楽しめるように」という当初計画で作り始めたため、迷路やアスレチック、ツリーハウスなどもある。 2005年には庭園の一角に100種類以上の&color(Red){毒草};のみを集めた植物園、その名も「''&color(Purple){ポイズン・ガーデン};''」がオープンしこちらも人気に。 常に施錠されて専任の案内人が同行しないと入場できない、入場客の中には失神した人もいるとかいうガチの毒物園。 ちなみにこちらの発案者も公爵夫人。いわく『だいたいの子供は薬草より毒草のほうに興味を持ちますよ』とのことらしい。&color(Silver){そりゃそうかもしれないけども。}; }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)